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福島県と東海地方の歴史的なつながり

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年1月13日更新

福島県と東海地方の歴史的なつながりについて

今年、平成29年(西暦2017年)は大政奉還150年、平成30年(西暦2018年)は戊辰戦争から150年を迎えるにあたり、福島と東海地方の歴史的なつながりについて紹介します。

福島藩と刈谷藩の飛び地領

  • 福島藩は、板倉氏三万石の城下町として現在の福島市の発展の礎となりましたが、現在の愛知県刈谷市、知立市、安城市及び豊田市に跨がる地域に福島藩の飛び地がありました。この地域はもともと刈谷藩の一部でしたが、1790年(寛政2年)に刈谷藩で起こった一揆(寛政一揆)の不始末に対する処分が1792年(寛政4年)に言い渡され、刈谷藩の一部(2万3千石のうち1万3千石分)が福島藩の一部(1万石分)及び幕領(3千石)と交換させられました。
  • それ以降、明治維新までこの地には福島藩の陣屋(重原陣屋)が置かれ、藩の貴重な収入源となっていましたが、戊辰戦争後、福島藩主板倉家は飛び地であったこの地に移封となり、重原藩を立藩しました。なお、1869年(明治2年)の版籍奉還後は板倉勝達が初代の重原藩知事に任命されています(重原藩は廃藩置県により廃藩となり、重原県、額田県を経て愛知県に編入されています。)。
  • 藩庁が置かれた場所は現在住宅地となっていますが、近くの寺(浄福寺)には陣屋跡を示す石碑や福島藩領であったことを示す道標が置かれ、また、藩庁の門も近くに移設されており、刈谷市の文化財に指定されています。
  • 反対に、刈谷藩は福島藩の伊達郡、信夫郡に跨がる地域を飛び地とし、現在は福島市飯坂町湯野の西根神社の境内となっている場所に刈谷藩陣屋が置かれ、今も陣屋跡を示す石柱が立てられています。

刈谷市01刈谷市02福島市01

 徳川宗春は元梁川藩主松平通春

  • 現在の福島県伊達市梁川町は戦国時代伊達領でしたが、関ヶ原以降の幕領を経て、1683年(天和3年)からは尾張藩の分家が歴代藩主となり梁川藩が置かれていました。
  • 尾張藩の第7代当主である徳川宗春は、藩内の経済発展に大きく貢献したことや、そのキャラクターから名古屋では非常に人気のある殿様ですが、1730年(享保15年)に尾張藩主となる直前は梁川藩主で松平通春と名のっていました。
  • もともと梁川松平家は、尾張藩の血脈が途切れることを防ぐための分家「御連枝」として位置づけされていましたが、尾張藩に世継ぎがいなくなったため宗春が尾張に呼び戻され、梁川藩は宗家断絶防止の目的を達して廃藩となっています。
  • 伊達市保原地区で行われる「つつこ引き祭り」は梁川藩主時代の宗春が凶作の際に領民に種籾を配ったのが起源とも言われています。

白虎隊とともに戦った岐阜郡上藩士

  • 郡上藩は現在の岐阜県郡上市を中心とする4万8千石の藩でしたが、幕末の戊辰戦争の際に藩の方針に反した佐幕派の一部が脱藩し、凌霜隊を結成し、戦火の会津藩に入り、白虎隊とともに新政府軍と戦いました。
  • 敗戦後、元凌霜隊員は監禁され郡上藩へ移送されましたが、賊軍に味方したとして悲惨な扱いを受けています。郡上八幡城には凌霜隊の碑が残されており、また、監禁された郡上市内の寺には経緯を記した説明板が掲示されています。なお、白虎隊が自刃した飯盛山にも凌霜隊の碑が建てられています。

松平容保は岐阜高須藩の生まれ

  • 現在の岐阜県海津市にあった高須藩は尾張藩の分家で、尾張藩主も輩出する家柄でした。戊辰戦争時の会津藩主で京都守護職も務めた松平容保は、高須藩第10代藩主松平義建の6男として生まれた後、会津藩第8代藩主の松平容敬の養子として迎えられています。
  • ともに官軍と戦った桑名藩主の松平定敬や尾張藩第14藩主徳川慶勝、15代藩主徳川茂徳は兄弟であり、海津市歴史民俗資料館には、この高須四兄弟の写真などが展示されています。
  • 京都所司代として兄の松平容保を助け、戊辰戦争では会津入りし最後まで維新軍と戦った松平定敬による戊辰殉難招魂碑が、三重県の九華公園(桑名城址)に建立されています。

  ※平成29年10月には桑名市博物館において「幕末維新と桑名藩~一会桑の軌跡」と題して福島県立博物館所蔵品も含めた特別企画展を開催していました。

白河藩の三重桑名転封

  • 白河市にある南湖公園の整備や白河の関を治定した白河藩主の松平定信は、老中首座として寛政の改革を行ったことでも有名ですが、出身である久松松平家は定信の嫡男の定永の代に白河藩から桑名藩へ転封されています。
  • 転封の理由は幕府からの懲罰など様々な憶測がされていますが、久松松平家はかつての桑名藩主であり、白河に比べ桑名が豊かな地であったことから、定信自身が先祖ゆかりの地への転封を望んだとも言われています。なお、久松松平家の出自は現在の愛知県知多郡阿久比町付近と言われています。
  • 松平定信は桑名へ移り住むことなく江戸で亡くなっていますが、遺品の多くが桑名藩へ引き継がれたため、現在もその多くが桑名市博物館に残され、定期的な展示も行われています。

二本松丹羽氏は名古屋がルーツ

  • 二本松藩は現在の二本松市、郡山市などを所領とし10万石を超える大藩ですが、明治維新まで藩主を務めた丹羽氏は1643年(寛永20年)に白河小峰城から二本松城に丹羽光重が入城したことを始まりとしています。
  • 丹羽光重は織田信長の重臣であった丹羽長秀の孫ですが、長秀は現在の名古屋市西区に生まれ育っており、二本松藩のルーツがここにあるとも言えます。
  • その地には現在、住宅地に囲まれた一画に愛知県が建てた「丹羽長秀邸址」の碑が建てられています。

名古屋大学の礎を築いた須賀川医学校卒の後藤新平

  • 名古屋大学の歴史は明治初期に設置された医学校が源流であり、1939年(昭和14年)の帝国大学設置もその流れを汲む名古屋医科大学が母体となりました。
  • この歴史の中で大きな足跡を残しているのが、1881年(明治14年)愛知県医学校の学校長兼病院長に24歳で就任した後藤新平です。後藤新平は後に東京市長や鉄道院総裁など政治家として活躍することになりますが、もともとは医師でした。
  • 後藤新平が医学教育を受けたのが須賀川医学校です。後藤新平は仙台藩水沢城下の生まれですが、幼少の後藤の才能を認め支援していた胆沢県大参事の安場保和が福島県令に異動し、後藤新平は福島洋学校へ入学。その後安場保和等の勧めがあり須賀川医学校に17歳で入学しています。ちなみに、安場保和は福島県令から1875年(明治8年)に愛知県令に異動し、それについて行く形で1876年(明治9年)愛知県公立病院に就職します。
  • 須賀川医学校は現在の公立岩瀬病院に併設されていたもので、岩瀬病院は1872年(明治5年)開設という全国でも極めて古い歴史を持つ病院です。
  • なお、名古屋市千種区の名古屋大学博物館の大学沿革を紹介するコーナーでは、後藤新平が名古屋大学の教育風土にいかに大きな影響を与えたかの解説がされています。

会津若松のルーツ蒲生氏郷

  • 現在の会津若松の基礎を築いたと言われる蒲生氏郷は、現在の滋賀県蒲生郡の出身で、本能寺の変以降、豊臣秀吉からそれまでの功績が認められ、1584年(天正12年)に現在の三重県南伊勢の松ヶ島城主となり、その後松坂城を築城し、城下町を整備しました。
  • 1590年(天正18年)に豊臣秀吉の命により伊達の押さえとして、会津入りした蒲生氏郷は、黒川城を築城し町の基盤整備を行いましたが、故郷にある「若松の杜」にちなみ黒川から若松に町名を変更しました。
  • また、鶴ヶ城の名も蒲生氏郷が名付けましたが、その由来は蒲生家の家紋に鶴が描かれていたからとも、氏郷の幼名が鶴千代であったからとも言われています。
  • 若松の杜は、蒲生氏の氏神である馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野村)の参道脇にあり、当時は正に森であったと思われますが、現在は数本の松が残されているだけです。しかし、きちんと管理されているようで、説明板も設置されています。

愛知県民の歌は古関裕而の作曲

  • 全国高等学校野球選手権大会歌「栄冠は君に輝く」、1964年東京オリンピック行進曲「オリンピック・マーチ」などを作曲した古関裕而は、1909年(明治42年)に福島市で生まれ、生涯5千曲もの歌を作曲しましたが、流行歌ばかりでなく全国各地の校歌や応援歌なども数多く手がけており、福島市には古関裕而記念館も建っています。
  • 古関裕而の妻・金子(きんこ)は豊橋市の出身で、1930年(昭和5年)に古関裕而と結婚しています。
  • 愛知県民の歌「われらが愛知」は1950年(昭和25年)に第5回国民体育大会の開催を機に、一般公募の歌詞に古関裕而が曲を付けたものです。また、豊橋市歌も古関により作曲されました。
  • 古関裕而が作編曲し1950年(昭和25年)に発表されている「ドラゴンズの歌(星雲たかく)」は「燃えよドラゴンズ!」の陰に隠れてしまっていますが、初代公式球団歌です。歌唱の伊藤久男も福島県出身。なお、「燃えよドラゴンズ!」は応援歌です。
  • 全国数多くの校歌を作曲している古関は、東海地方の学校でも校歌を作曲しており、三重県立宇治山田商業高校、名古屋市立工業高校などの校歌も古関裕而が作曲したものです。

※ 随時情報を追加していきます。

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