265年間にもおよぶ徳川幕府に終わりを告げ、新時代の契機となった戊辰戦争。江戸城開城後も会津藩は旧幕府軍の中心となり最後まで戦いぬいたが激戦の末、会津藩は廃藩となった。戊辰戦争が終ると新政府は蝦夷地の警護と開拓を行うために「開拓使」を設置、名称を「北海道」と改めた。藩が取り潰しになり東京で謹慎中の旧会津藩士の一部が北海道に移され、小樽・余市などの開拓に当たらされた。また、同時に会津松平藩の再興が認められ、旧南部藩内(盛岡)に領地を与えられ、斗南藩と称した。斗南藩は後に北海道に領地を与えられ、少数であったが旧会津藩士が北海道に移住した。 明治7年(1874年)、政府は北海道の本格的な開拓と北方警備を目的に屯田兵制度を創設、翌年から屯田兵の入植が始まると余市・斗南・会津などの各地から旧会津藩士が集結した。札幌郡(札幌市)の琴似・山鼻・江別などに移住し、訓練と開拓に従事した。こうして明治初期に北海道に移住した旧会津藩士の数は約400戸、1500人にものぼり、北海道開拓の重要な役割を果たした。 |