浜通り16(新地町):北の玄関口から(ハマナカアイヅ)
福島県の北の玄関口――新地町
福島県から宮城県に移動する場合、主なルートは2通りです。
中通りを通るルート(鉄道:JR東北本線/東北新幹線、車:国道4号線/東北道)と、
浜通りを通るルート(鉄道:JR常磐線、車:国道6号線/常磐自動車道)があります。
後者の場合、必ず両県の県境にある「新地町」を通るわけです。
意外にも、今回の取材まで新地町にはまだ一度も立ち寄ったがありません。
決して、縁がないわけではありません。
東日本大震災発生時、沖出しにより漁船は守ることができたものの家族を失ってしまった漁師の話「命のつぎに大切なもの」の紙芝居を通訳させていただいたことがあります。
これまでの「ハマナカアイヅ」の取材で、いわき市、楢葉町、広野町、富岡町、双葉町、浪江町、南相馬市、相馬市と県内の海沿いの市町村をほぼ踏破したが、
唯一未踏の地である新地町へ先日、取材のため行ってきました。
建設中の新・新地駅
ウィリアム交流員が見つめる先には、町のランドマーク・新地駅がありました。
この写真を見たことがあるという方は多いかと思います。
多くの方々と同じように、僕が「新地町」の名前を初めて知ったきっかけは、震災後の駅を記録したこの一枚の写真でした。
あれから5年が経ちました。今の新地駅は一体どうなっているのでしょうか。
被災した旧駅舎は取り壊され、山側へと移転する新駅舎の建設は工事の真っ只中となっています。
JRの発表によると、JR新地駅を含めるJR常磐線の「浜吉田(宮城県)~相馬」区間は2016年中に再開通する予定とのことです。
つまり半年後、代行バスの待合所として使われてきた仮設の新地駅は引退するのでしょう。
長い間、お疲れ様でした。
そして、福島県の北の玄関駅の歴史に、新たな歴史がすでに始まろうとしています。
後世に語り継がれる復興のシンボル
新地町役場の隣に、一枚の旗が立てられています。
その名は「復興フラッグ」です。
東日本大震災の復旧のため駆けつけた自衛隊員が、ガレキの中から一枚の日の丸を見つけ、それに応援メッセージを書き込み、浜近くの交差点に掲げたのが「復興フラッグ」の始まりと言われています。
その旗は、雨風に吹き飛ばされたりしつつも力強くはためき、2代目、3代目と引き続き継がれてきました。
新地町役場の「フラッグ」、数えて3代目になりますが、
移設の記念に書かれたメッセージや、有志の方たちが供えたてるてる坊主など、人と人をつなぐ旗は、様々な歴史を刻んでいます。
浜の整地や常磐線の再開など、これから先、新地町は劇的変貌を遂げていくでしょう。
この町に再び訪れる人々は、笑顔でこの御旗の元に集いますように。
(つづく)
(投稿者:徐)
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