中通り39(二本松市):二本松の春だより―前篇―(ハマナカアイヅ)
二軒の寺と二本のシダレザクラ
4月6日、水曜日。
桜を追う旅が続くなか、時には電車も使ったりします。
今回の目的地は、『自然の恵み先人の知恵いまに息づく文化の香り「いま拓く豊かな未来二本松」』というスローガンを掲げている二本松市です。
県内のテレビ局の情報番組で桜の開花情報を入念にチェックしていると、時々思わぬ収穫があります。
今回の旅は、まさにその恩恵を受けました。
目的地はなんと、これまでの取材先リストにない「お寺」です。
中国でも「少林寺」や「白馬寺」、「東林寺」などといった名刹が多いものの、日本のように寺院が町中に点在するわけではありません。
加えて、中国の場合は「心願の成就」や「神仏のご加護」を頂くために寺院に参拝する人がほとんどです。
「お寺」で「花見」することは、日本ならではの風景だと思います。
西に傾く夕日と共に、静まり返る二本松の市街地を歩きます。
ちょうど2年前、「ハマナカアイヅ」の取材でウィリアム交流員と一緒に訪れたこの町は、相変わらず居心地がいいです。
万が一お寺に門限がある場合を考えて、出発する前に二本松観光協会に問い合わせてみました。
うれしいことに、2つの取材先とも夜間の参拝は可能という回答を頂きました。ラッキー!
スマホの地図アプリを頼りに、最初の目的地「蓮華寺」にたどり着きました。
斜面にそびえ立つ、一本のシダレザクラが目立ちます。
寺内の坂を登ると、やがて「お墓」と「桜」という異色のコラボレーションが現れました。
その正体は、推定樹齢300年以上で、二本松市の天然記念物にも指定された「蓮華寺のシダレザクラ」でした。
夕暮れ時の蓮華寺で、シダレザクラの美しさを独り占めしました。
無心になって、ただひたすら眺め続けました。
ここで永眠する人々は、思いを花びらに託し、風に乗せて遠くの親族に思念を伝えようとしているのではないかと思いました。
ふと、我に返りました。
パシャッと、決めポーズで記録写真を撮りました。
夢から醒めし人よ、次の現場に急がないと!
周囲が急に暗くなりはじめたので、勢い良く次の目的地――鏡石寺に向かって走り出した、が…
ルート上できるだけ同じ道を通らない主義の僕は、予想とは裏腹に大幅にタイムロスをしてしまいました。
「大丈夫だろう」の過信は禁物です!
時刻は18時23分。なんとか日没になる前に鏡石寺に着きました。
慈悲の象徴である観音様でさえ、僕の愚かさを嘆いていたかのように見えました。
蓮華寺同様に、こちらでも樹齢400年のシダレザクラが見頃を迎えました。
角度によっては、とても同じ樹木には見えないかもしれませんが、実はご立派な一本桜です。
寺内に設置される案内板では、「根元の周囲4.4m、目通り幹囲3.2m、樹高約10mで、地上6mで4枝に分れ、うち1枝は枯れているが、2枝は横に、1枝はさらに垂直に枝を伸ばし、それぞれ多数の小枝を出している。そのため枝張りが2重になり、見事な重層樹形を呈する。」と記載されています。
桜の咲き具合を記録して、最後の一枚の写真の仕上がりです。
――鏡石寺のサクラ、「満開」です!
そういえば、4月5日は中国の「清明節」」でしたね。
日本で言うと、お盆と似たような感じで、お墓参りをする時期です。
また、古代中国の風習から、墓参りの後ついでに木の下や桃や李の咲く中で酒宴を開いたり、春の盛りの山野を楽しんだりする時期(「踏青」とうせい)でもあります。
シチュエーションはいろいろと変わりましたが、仲春の候で自然美を楽しもうとする気持ちはきっと同じものだと思います。
坂道と文豪の名残り
二本松市内では、坂道が多いです。
県道129号線(二本松安達線)の二本松市内の区間は、緩やかなカーブで優雅な坂道です。蓮華寺は、この坂道にあります。
一方、鏡石寺はとなりの亀谷(かめがい)坂の途中に位置しています。
写真では分かりづらいが、坂道としてはかなりのスペックです。
坂道のデータベースによると、亀谷坂は「距離: 445m | 高低差: 39.17m」と記載されており、つまり8.8%の勾配ということです。
ちなみに、勾配のきつさゆえに、ここ亀谷坂は二本松提灯まつりの最大の難所で、見せ場でもあります。
経験上、険しい道ほど、物語があるものだと思います。
実はこの亀谷坂で、思わぬ収穫がありました。
亀谷坂頂上にある、通称観音堂の境内には、安永5(1776)年に建立された松尾芭蕉の句碑があります。
「人も見ぬ 春や鏡の うらの梅」
句碑に刻まれている句は、元禄5(1962)年の夏に刊行された芭蕉と芭蕉門下生の連句・発句撰集「己が光」に収められていて、「鏡の裏の模様である梅は、ひっそりと春の訪れを告げている。人が見もしない春とでもいうべきであろう」と解釈されています。
かなり風化が進んでいるが、市内にある文学碑の中で最も古く、二本松市の史跡に指定されています。
少し坂を下ると、もうひとつの句碑に出会いました。
若い頃の露伴が上京の旅中福島県に来ていました。節約のため、飲まず食わずで二本松に着いたのは夜半近くで、体力、気力ともすでに限界でした。
やがて道端に倒れこみ、野宿を決意し、いつか野垂れ死にをする時が来たら、きっとこんな状態だろうと思案し、口をついて出た句が、
「里遠し いざ露と寝ん 草まくら」でした。
後に、この句からペンネームを「露伴」にしたと日記などで記述しています。また、文学を志した熱き想いと苦難の突貫道中を忘れぬよう、ペンネーム「露伴」を生涯大切にしたといわれています。
偶然たる必然
時空を超えた二人の句碑は同じ坂道に建立されています。
それは「偶然たる必然」だと思います。
春の蓮華寺と鏡石寺で、咲き誇る二本のシダレザクラに「必然」的出会いました。
春の亀谷坂で、現地ゆかりの二人の文豪に「偶然」出会いました。
「偶然」と「必然」を満載した二本松の春だよりは、僕が確かに受け取りました。
つづく
(投稿者:徐)