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半田山(桑折町)の治山

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年8月8日更新

伊達郡桑折町にある半田山は、標高863メートルで、福島市や国見町、宮城県白石市と接しています。この半田山も、かつては「はげっぺ半田山、登ればツールツル・・・」と子供達に歌われるほど、山の表面には幾筋も地肌が剥きだしになっていました。これが半田山崩壊後の姿でした。崩壊後、治山事業に取り組んだ先人の努力により、百年の時を越えて、緑豊かな半田山が甦りました。

半田山の歴史

半田山(桑折町)は、徳川幕府時代に、通貨鋳造銀山として、佐渡相川金山、但馬生野銀山と共に日本三大鉱山といわれ、坑道の延長は十数キロメートルあり、当時は大いに賑わっていました。明治9年には明治天皇が御臨幸され、鉱山施設をご覧になっています。「はんだ付け」(鉛とスズの合金)の名称の由来は半田山といわれており、当時は全国に名が知れ渡っていました。

半田山の地すべり

半田山は、江戸時代にも、繰り返し地すべりが起きていたようです。東側の大きく崩れた山容は、江戸時代後期の著名な画家「谷文晁」が1817年に描いた「奥州半田山(半田銀山の図)」(種徳美術館蔵)に既に描かれています。 明治に入り、24年頃から再び地すべり活動が始まりました。明治34年から36年にかけてが最も激しく、山の東側半分に大規模な地すべり(東西2キロメートル、南北1~1.5キロメートル)が発生し、それまでも馬蹄型の崩れを持つ特異な山容は、より一層、荒々しい姿となってしまいました。この崩壊により、人家30戸及び鉱山長屋26棟の移転が必要となりました。また、山の中腹にあった旧半田沼は消滅し、南側に8ヘクタールほどの新しい沼が出現しました。現在の半田沼の誕生です。これらの度重なる地すべりは、第三期層凝灰岩が深層風化しているためと考えられています。 地すべりにより最も被害を受けたのは明治43年です。8月に入り、日本全土をおそった異常な降雨は、史上有数の災害(全国の浸水家屋51万8千戸)をもたらしました。半田沼においても、10日からの降雨により著しく増水し、16日には東端が決壊、土石流となって山麓一帯に氾濫し、特に半田村大字北半田(現、桑折町大字北半田)地区に大きな被害(埋没や流出などの家屋111戸、田90ヘクタール、畑30ヘクタール)を与えました。

治山事業の始まり

災害の翌年の明治44年から、被災地の復旧事業が始まりました。これが、今から百年前、福島県として取り組んだ治山事業の始まりです。県の補助事業として、半田村直営で排水工及び植栽を行い、その後も、荒廃地の崩壊を防止するための山腹工事や、渓流から土砂が流出するのを防止する渓間工事などが継続して行われ、大正11年からは県営工事として昭和52年まで実施されました。その後も断続的に現在まで治山工事が行われています。

蘇った半田山

現在の半田山は、治山事業により安全、安心がもたらされ、見事に緑が戻りました 桑折町も半田山の保全管理に力を入れており、昭和56年からは生活環境保全林整備事業により、半田沼周辺の花木、遊歩道、休憩施設などが整備され、また昭和59年からは新林業構造改善事業により管理センター、キャンプ場などが整備されました。青く水を湛えた沼を中心に、春の桜、夏の涼風、秋の紅葉と、半田沼を中心に、四季をとおして多くの方々に憩いの場として利用されています。平成22年6月12日には、半田醸芳小学校緑の少年団や、地域住民など150人が参加し、半田山復興百周年記念植樹が半田山で行われました。植栽した松が百年後も緑豊かに半田山を守ることを願い、当日は、松食い虫に対する抵抗性の強い松百本が植栽され、参加した方々は、先人達の労苦に感謝し、偉業をたたえ合いました。

災害はいつでもどこでも起こりえます。自分たちの住んでいる地域の言い伝え、歴史的経過、治山治水にかけた先人の取り組みなどの状況を再認識し、”ゆい”の心で日常的に助け合っていくことが、災害の未然防止につながると被災した方の体験談でよく聞かれます。皆さんの地域においても是非再確認をお願いします。

資料提供

桑折町、高橋 栄氏

明治43年8月の半田沼決壊による被害状況の略図

明治43年8月の半田沼決壊による被害状況を示した地図

明治36年の地すべり発生後の半田山の写真

明治36年に発生した地すべりにより半田山の山肌には幾筋もの地肌がむき出しになっています。(写真1)

明治43年8月に半田沼が決壊した写真

明治43年8月に半田沼が決壊した様子(写真2)

土石流に埋没した人家の写真

土石流に埋没した人家。明治43年8月撮影。

現在の半田山の写真

写真1の現在の様子。幾筋もみえた山肌は植林によりほとんどなくなりました。

現在の半田沼の写真

写真2の現在の様子。沼の周りは鬱蒼とした森となり、憩いの場となっています。

治山工事の実施状況の写真

治山工事(水路工)の実施の様子。(写真3)

現在の治山施設の写真

写真3の現在の様子。森林の中に水路が残っています。