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第1章 只見川の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月31日更新

会津誕生との関わり

 「会津」という地名の由来は、わが国の最古の文字記録である『古事記』にみられる。崇神天皇の時代、諸国平定のため大毘古命が越の国(新潟県側)から、その子の建沼河別命が東国(茨城県側)から発ち、二人が津(水辺、多くの川が合流するところ。会津坂下町付近であろうか。)で出会った。そこから、「相津」といい「会津」となったとある。大毘古命は、阿賀川を遡上してきた、川が道となっており、文化の道でもある。

弘法伝説と虚空蔵様

 大同2年(807)柳津の虚空蔵尊の御本尊の「御曽木」を弘法大師(空海)が拾い揚げ祀ったという伝説がある。弘法大師が御曽木を尋ね上り、川沿いを歩いたとき、「只見て帰られた」ところから、「只見川」と呼び、虚空蔵尊をまつる柳津より下流を「揚川」と呼び「阿賀川」と言うようになったと、寛文5年(1655)の稲河領牛澤組の風俗帳に記載されている。

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