寛政11年(1799) | 幕府は東蝦夷地を領地とした。 |
文化 3年(1806) | ロシア人の樺太襲撃・掠奪 |
文化 4年(1807) | ロシア人がエトロフ島・樺太・利尻島を再び襲撃。幕府は、会津藩に蝦夷地(北海道)警護のための出兵を命ずる。 |
文化 5年(1808) | 会津藩兵約1,600人が松前、宗谷、利尻島、樺太に出兵、警護に当たる。 |
文政 4年(1821) | 幕府は松前・蝦夷地を松前藩の領地と定める。 |
安政 2年(1855) | 幕府は松前・江差地方を除く全島を幕府の直轄地とする。松前藩は代替地として伊達郡梁川などを与えられる。 |
安政 6年(1859) | 会津藩は幕府より蝦夷地の一部を領地として与えられ、支配・開拓及び警護を命ぜられる。 |
万延 元年(1860) | 会津藩は仙台・庄内・秋田の諸藩とともに北蝦夷地(樺太)の警備を命ぜられる。 |