ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
ホーム > 組織でさがす > 国際課 > 地球探検 アルゼンチン共和国 高山尚之隊員 6

地球探検 アルゼンチン共和国 高山尚之隊員 6

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

地球探検

第6回 南米と日系人 2  『会津生まれ』のおばあちゃん

    「…どこだか、忘れてしまったんですが・・・。でも会津なのは確かなんですよ」。私の住む町オベラにも、福島県に縁(ゆかり)のある日系一世が暮らしている。孫が日本語学校に通う蒲田友子(かまだともこ・旧姓末永)さん。農業を営んでいた、末永金一郎さん・ノエさん夫妻の6番目の子どもとして1935年(昭和10年)に、会津の地に誕生した。1歳になる前に、家族全員で移住船「まにら丸」に乗り、パラグアイに移住。目的は、数年後、再び会津に戻った時の営農資金調達であったという。「いずれ日本に戻んだがら、ちゃんと日本語を勉強しておげ」。主にタバコの葉栽培のため、畑に出る両親の代わりに、日本で学校教育を受けていた兄姉たちが、ひらがなやカタカナなどを教えてくれた。スペイン語も覚えたが、同居する10番目の末息子との会話は、今でも日本語である。

   幾たびかのバッタの大群の襲来や、第二次世界大戦勃発による日本人排斥運動のため、パラグアイから逃げるように、国境を接するここアルゼンチン・ミシオネス州へ。友子さん5才の時であった。「オベラに着いてすぐは、やしの葉で屋根や壁を作った家に住んでましたよ。床は、その幹を割って作ったんですよ。その上に、日本から持ってきていた布団を敷いて寝てました。当時は、野生の大きな山猫もいて、うなり声が遠くに聞こえて、怖くて寝られない夜もありましたねえ」。想像を越える数々のドラマがあっただろう、70年余を振り返る友子さん。その口調はゆったりだが、いろいろなことを昨日のことのように話してくれる。戦争により帰国の機会を失い、その後アルゼンチンに生活の基盤ができた両親は、一度も日本の土を踏むことなく、南米の土になった。

   北海道出身の蒲田哲一さんと結婚。19年前にご主人が他界。その約5年後、出稼ぎで日本にいた息子に、出身地会津につれていってもらった。1歳になる前までしかいなかった土地なので、当然、初めて見る風景。「一面に田んぼが広がる会津盆地の様子は、昔、父親に聞いていた通りだった。」という。一方、「私はアルゼンチンで生まれたのと同じなので、日本の畳の生活は、ちょっと、窮屈だったねえ。私はこっちの方がいいなあ。」と、ご主人との思い出のイスに深く座った。

移住当初の末永家

移住当初の末永家。中央に座っている父親の手に抱かれているのが、当時2歳の友子さん。右端は叔父。後ろに見えるバナナの葉や熱帯系の植物が、入植地の様子を物語る。下の写真は、会津弁のやさしい語り口調が残る、現在の友子さん。

現在の友子さん

(日系社会シニア・ボランティア 日本語教育 高山 尚之)