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地球探検 パラグアイ共和国 廣瀬靖夫隊員 32

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

 地球探検

パラグアイ通信(32)

 首都アスンシオンから南へ400~500km、アルゼンチンとの国境近くにエンカルナシオン(encarnacion)市があり、この街から北東へ約30kmのところにパラグアイで唯一つ世界遺産に登録されているトリニダ遺跡があります。1700年ごろイエズス会によって伝道目的に建設された村・先住民指定地の跡(写真1)です。イエズス会の宣教師はパラグアイとアルゼンチンとの国境となっているパラナ河の両側で活動していて、アルゼンチン側にもいくつかの先住民指定地の跡があります。それらの中心的位置にあったのがエンカルナシオンで、この都市の名はスペイン語で「キリストの受肉・化身」と言う意味です。

  南アメリカにやってきたスペイン人は同時にイエズス会の宣教師を送ってきました。当時のグアラニー人は文化程度も高く、スペイン人との同盟により敵対していた他のインディヘナと対決することを決め、スペイン人もこれを受け入れたので、両者の間に交流が生まれ、その後の混血奨励政策もあって、ほとんどが混血と言う時代があったようです(その後移民を受け入れ、現在はその数字は定かではありません)。

   少しくどくなりますが、歴史書によると17世紀以降はイエズス会宣教師による先住民への布教活動が、農業活動なども含めて活発に展開されました。また、イエズス会は、ブラジルのサンパウロからやってくる奴隷商人への抵抗のために、グアラニー人を武装させました。ポルトガル人奴隷商人によって多くのグアラニー人が奴隷となってブラジルに連行されたものの、この軍隊はしばしばポルトガル人を破ってスペイン植民地の辺境を防衛する役目を担いました。そしてローマ教皇に直属し、以後スペイン王室や副王の役人も容易に口出しできなくなったイエズス会の伝道地は、原始共産主義的な様相を帯び、自主自立の独立国家のような存在として、その後も他の地域のインディヘナが味わったような辛酸には至らず100年近く平和に存在し続けたようです(フリー百科事典「ウィキペディア」)。

   このような歴史が、グアラニーの子孫であると言う誇りを持たせ、ここパラグアイでは公用語(国語)としてグアラニー語とスペイン語の二つを持ち、貨幣単位をグアラニーと呼んでいます。中南米の中で現地語を公用語としている国はほかにありません。

   前回報告の最高額紙幣(100,000Gs)の肖像画の人物、パラグアイ・アスンシオン生まれのRoque Gonzalez de Santa Cruzもここで伝道に当たっていました。 どのような感じだったかというものが絵になってカクペの教会の中に飾ってあります(写真2)。

写真1

世界遺産トリニダ遺跡         当時の学校の跡

世界遺産トリニダ遺跡の一部(最初の教会跡)   ここは当時の学校の跡

写真2

カクペの教会に展示してある絵画の一部

カクペの教会に展示してある絵画の一部 (パラグアイ通信(5)参照) 宣教師とグアラニー族と思われる人たちとの共同生活を描いたもの

廣瀬 靖夫 (シニアボランティア 環境工学)