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自殺で残された家族と友人のケアとサポートの手引き(13)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新
目次(12)(13)(14)

このとき:身近な人が自殺で亡くなったとき

「こんなときには、どんな言葉も、どんな書物も、どんな人も痛みを和らげることができないということを、私たちはわかっています。あなたの心の準備ができたときには、こうしたことが役に立つでしょう。今はそんなことはあり得ないように思うでしょうが・・・」

この悲しい出来事――避けられない、償えない、元に戻せない出来事。混乱、脱力感、たとえようもない痛み、心理的にも身体的にも感じられる痛みが、かわるがわる襲います。「胸の中にセメントの塊があるよう」

悲嘆――個人的で自分だけのもの。あなたが取り組む航海です。自分の痛み、自分の物語。喪失感は消えてくれません。でも強さはおさまってきます。

なぜ私に? なぜ私の家族に?

このことによって私の存在が変えられてしまった。

こんなのは私ではない。これは未知のもの。
恐怖はあなたの全存在を貫きます。飛び越えたり回り道はできません。
その只中を進まなければなりません。このことが恐怖をさらに大きくします。

逃げてどこかに隠れてしまいたい!

残された子供のことを心配します――この子も自殺しようとするのではないか? どうしても過敏になってしまいます。防衛的になったり心配性になったり臆病になるのは、当たり前のことです。

事実と想像とを見分けるように努力しましょう。

なぜわからなかったのか、なぜ止めなかったのか?

恥ずかしさと後悔の念が続きます。絶望しきった感覚に覆われます。「~さえしていたら」とばかり考えます。

なぜ?なぜ?なぜ? この疑問によって体験が呼び戻され、出来事について自問自答します。自殺を止めるために誰も何もできなかったのか? 亡くなる前の日に戻ることができたらと願います。

自分が変わってしまった

人として、親として、配偶者として、子供として、家族として、友人としてのアイデンティティが変化します。気持ちが「ジェットコースターのよう」で、自然に振舞うことが難しくなります。

どんなふうに振舞えばいいのか? 私に何が求められているのか?

人間関係が変化し難しくなります。それは家族の間でもそうです。お互いを尊重し、お互いの時間や空間を大切にしましょう。ちょっとしたことを決めるにも自信がなくなります。生活は機械的に進むだけになります。空っぽになってしまったようです。

とても壊れ易く感じ、自分らしく振舞うことができません。赤ん坊の声を聞いたり、音楽が少し耳に入っただけで、ぼろぼろと崩れてしまいます。いらいらして、自殺に比べると、どうでもいいことに思えていらだちます。

 このまま気が狂ってしまうの?

混乱した気持ちや信じたくない気持ちから、亡くなったことを忘れてしまうということがあります。
買い物も難しくなります、「このシャツはこのズボンによく似合うから買おうかしら・・・」、あるいはスーパーマーケットで-「お気に入りのシリアルは」、そして突然我に返りますつきます。打ちひしがれてしまいます。買い物を途中でやめざるを得ないこともあります。

仕事に集中したり雑用を思い出すのが難しく感じるかもしれません――車にガソリンを入れたり牛乳を買ったり。とても難しく感じます。

いつも絶望を感じどうしようもない!

気が狂っているのではありません、悲しみや嘆きがとてつもなく大きいのです。

 記念日をやりすごす

いろいろな記念日への対処は難しく、その前の何週間か、何ヶ月間かというのは特にそうです。より落ち着かず不安に感じます。空白感、空虚感を感じます、「私の誕生日には、彼からのプレゼントがほしいだけ、いつもとても大切なものだった」

思い出の日や特別な日に備えて準備しましょう。故人にカードを書いたり、記念日に何かを買ったり作ったりすることです。結びついているという感覚や達成感が得られるでしょう。

友人や親戚

友人や親戚やその他の人に、故人が自殺で亡くなったと伝え、そのことについて話をするのは難しいかもしれません。何を言ったらいいかを準備しておくとよいかもしれません。「自殺でなくなったのです、言えるのはそれだけです」といったように簡単な言葉でよいのです。

友人や親戚の善意にがつらく感じるかもしれません。あなたの言うことに耳を傾けず、「忘れなさい」と押し付けるかもしれません。単に自分の気持ちを言っただけかもしれませんし、もしかしたら彼ら自身、同じような悲惨な体験があって分かち合いたいのかもしれませんが、今のあなたはとてもそんな気持ちではありません。

周りの人はあなたの気持ちをないがしろにしているように感じられます、「そんなふうに感じるなんて私には考えられないわ」とでも言っているようです。一人取り残されたように感じます。

あなたは関わる相手をもっと選ぶようになるかもしれません。

今は、自分の人生でなにを優先すべきか、見つめなおす時期かもしれません。

あなた自身やお互いに優しくなりましょう。よくなっていくことを信じましょう。ずっと同じということは決してありません。

その日その日をすごしていきましょう。

葬儀の準備に時間を費やします。葬儀担当者に、大切な人の髪の毛を一房もらうように頼みましょう(そうしたいと思ったら)。

写真を撮ってもらうことを考えましょう――葬儀にこれない人のために。

大切なことを決めるのは先延ばしにしましょう。あとで後悔します。

この場にとどまる勇気を持ちましょう。たとえ、気持ちが真っ暗であってもです。

荷が重すぎるときはサポートを頼みましょう。親友や自殺を経験した他の人などがケアしてくれ慰めてくれるでしょう。専門家のサポートを軽んじてはいけません。

大切な人について、その生活といっしょに過ごした時間について話し、遠慮なく泣きましょう。

故人に話したかったことを声に出して話し、書きましょう。愛情、怒り、残されて傷ついたこと、言ってしまったことや言わなかったこと、したことしなかったことへの後悔などの言葉です。

このことには痛みを伴うかもしれませんが、繰り返すうちに和らいできます。

泣くことは傷を和らげます。 治癒には時間がかかります。


 こんなときには、どんな言葉も、どんな物も、どんな人も痛みを和らげることができないことを、私たちは理解し、大事なことだと思っています。あなたの心の準備ができたとき、これらが役に立つでしょう。今はそんなことはあり得ないように思うでしょうが。心の中ではこんな叫びが聞こえてきます――「ちがう、私は違うの、よくなるなんていうことは決してない! 私はただあの人に帰ってきてほしいだけ」

ある残された母親の言葉

「遺族は手足を切断された人のようなものです。私たちの一部分がなくなり、私たちの心も体もなくなったもののを埋め合わせることができずにいます。ですから、手足を切断された人と同じようにリハビリに取り組み、一歩一歩時間をかけて取り組まなければならないことを認めなければなりません。残されたものを使って生活を変えていかなければならないと知ることによって、自分で元気を取り戻していくのです。」