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旧朝日座:朝日座を楽しむ会

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

朝日座
歴史を感じさせる「ASAHIZA」の文字。2階に見える窓ガラスを開けて、楽士が呼び込みのジンタを演奏していた。専門の映画館になってからは、映写技師が休憩時間にその役目を果たしていた時期もあるという

朝日座 〈南相馬市〉

大正浪漫あふれるキネマの館は地元人の愛情で今なお生き続ける

 「正面入り口のガラス扉を見てください。窓枠がすべて木製なんです。俳優の愛川欽也さんもこの部分に感心していました」。そう語るのは「朝日座を楽しむ会」会長の山城雅昭さんだ。愛川さんは、自らの監督作品「昭和の赤い灯」のロケ地探しでここを訪れ、その味のある姿に一目惚れしたという。その映画のフィルムには、ちょっぴりメイクを施されたこの小さな映画館が、実に堂々とした姿で映っている。

 大正12年に建てられた当初は、「旭座」という名称だった。開館当時に撮られた1枚の写真には舞台の緞帳(どんちょう)が写っており、そこには地域住民の期待の大きさを物語るかのように、地元商店街の店名がズラリと列記されいる。「芝居が始まる前には、建物正面の2階の窓から呼び込みの『ジンタ』が演奏されていました。その軽やかな音に町の人たちは胸を躍らせたと思いますよ」と語るのは、前館主の布川雄幸さんだ。戦後間もなくこの建物を買い取り、名称を「朝日座」に変更したのは布川さんの父親だった。それと同時に、当時の映画人気を見込んで、専門の映画館に改装し営業を始めた。その読みは見事に当たり、朝日座は活況を呈する。上映したのは主に大映と東映の作品。チャンバラ映画を目当てに多くの人が押し寄せた。父親から館主を引き継いだ布川さん自身も大の映画好きで、仕事がおもしろくて仕方なかったという。

 だが、活況を呈した映画業界も、東京オリンピックが開かれた昭和39年以降は、テレビの普及の影響で客足が鈍くなっていく。気が付けばこの町に4つあった映画館も、朝日座1軒だけになっていた。生き残りを図り、時代劇だけでなく、洋画やアニメ、時には成人映画まで、お客が喜ぶ映画を吟味して上映を続けた。しかし、経営の厳しさに歯止めはかからず、ついに平成3年、惜しまれながら68年の歴史に幕を降ろした。
 「楽しむ会」の小畑瓊子(けいこ)さんは、「建物を手放した後も、布川さんはこまめに足を運んで風入れなどをしてくれました。そのおかげで、建物の痛みは最小限で済んでいます。そんな目に見えない人の想いが詰まっているからこそ、余計にここを残したいと思うんです」と話す。 

 外観からしてレトロな建物だが、館内にも随所に昔日の面影が残っている。目を引くのは約200席ある客席のイス。多少座面が破れたり、ほつれているのはご愛嬌。多くの映画ファンをしっかり受け止めてきた歴史を感じさせる堅剛な造りだ。また、スクリーンに向かって左側の壁の向こうには、芝居小屋時代のなごりの楽屋スペースもある。客席からの歓声や拍手を耳にしながら、出番を待つ役者たちの息遣いが今にも聞こえてきそうだ。

 「かつてこの町には、関東大震災の第一報を海外に打電した歴史的価値のある日本一の無線塔がありました。しかし、保存か解体かの地元住民間の議論が不十分なまま取り壊されたんです。失って初めて味わった喪失感。同じ思いは繰り返したくない、その気持ちもこの会の原動力になっています」。朝日座が「まだ生きている」ことを知らない地元住民も多いという。「まだまだこれからです」。そう話す「楽しむ会」のメンバーの笑顔には、地元への愛情が満ちていた。

館内を案内する山城さん
館内を案内する山城さん。この日は、見学に訪れた小学生たちに説明をした後で取材に応じていただいた。「朝日座は個人の所有物ではありますが、みんなで守っていかなければいけないと思っています。日々の手入れは大変ですが、なんとか皆で協力してやっています」

朝日座の正面入り口
朝日座の正面入り口。通りから少し奥まった場所にあるため、車で前を走っても気づかずに通りすぎる人も多い。外から見るだけならいつでも見学はできる

スクリーン側から見た客席
スクリーン側から見た客席。芝居小屋のなごりでスクリーンが通常の映画館より高い位置にある。前の席からは若干見上げて映画を見るようになるが、それが朝日座ならではの味ともいえる

遺産の辿った歴史

 「朝日座」は、大正12年に芝居小屋兼活動写真館として「旭座」という名称で開館した。開館当時は町内で一番高い建物で、町のシンボル的な存在だったという。周辺の道の両側には大きなのぼりが立ち並び、有名な役者が来た時には、駅前通りまで客の行列ができた。戦前までは活動写真の上映はもちろん、歌舞伎や新劇などの芝居、浪曲や演芸などの上演も行い、旧原町市の娯楽の殿堂として親しまれた。無声映画の上映時に活躍した弁士や楽士も専属でついていたという。

 戦後はいち早く映画上映を再開し、平和が戻ったことを町に告げる役割を果たす。学芸会や各種行事の会場としても活用され、公民館的な役割を担っていたという記録も残っている。

 昭和27年に館主となった布川義雄さんが、名称を「朝日座」に改め、専門の映画館に改装する。それまで畳敷きだった客席はイス席に、桟敷や奈落などの芝居小屋ならではの設備は取り外された。記録が残る昭和31年以降で最も年間入館者が多かったのは、昭和34年の20万2,900人。それ以降は徐々に入館者数は減少していく。昭和40年に布川雄幸さんが三代目館主に就任。昭和50年には客席イスの取替えやロビーの改装を、昭和53年には4チャンネル立体音響装置を設置するなど、積極的にリニューアルを行い客足の回復に力を注ぐ。しかし、平成2年にはついに赤字決算となり、翌平成3年9月29日で閉館する。建物は土地所有者でもある日下邦弘さんに引き取られ、その後は年に数回、アニメ上映会や演芸会を実施。平成20年に「朝日座を楽しむ会」が発足した後は、会が主体となり映画上映会などのイベントを行っている。

まだまだ現役で活躍している映写室
まだまだ現役で活躍している映写室。当時の映写機はすでにないが、レンタルで借りているものが置いてあった。上映中はかなり暑くなるため、映写技師は汗だくになったという

館内に展示されている昔のポスター
館内に展示されている昔のポスター。前館主・布川さん所有のものを一部コピーして随所に飾っている。布川さんはポスター以外にもさまざまな資料を大切に保管しており、その映画への愛情の深さも朝日座存続には欠かせない要素となっている

朝日座を楽しむ会

 平成20年に市民の有志によって立ち上げられた市民活動団体。大正末期の建造物としての歴史的価値、ポスターなどの文化的価値が残る朝日座の保存と利活用を目的に活動している。映画上映会、お笑いライブ、シャンソンコンサート、寄席などのイベントのほかに、毎月第1・第3木曜日には「朝日座サロン」と称した茶話会を開催。老朽化による改修を目的とした募金活動も行っている。

「楽しむ会」のメンバー
「楽しむ会」のメンバー。左から小畑さん、山城さん、三島さん。右手前にある入場カウンターのやさしい曲線が郷愁を誘う。写真では見えないが、壁の向こうにあるタイル貼りの切符売り場もレトロ感にあふれている

会長 山城雅昭さん
会長 山城雅昭さん

 昭和18年生まれ。富岡町にある設計事務所に勤める傍ら、南相馬市中心市街地活性化協議会に参画。朝日座を楽しむ会発足と同時に会長に就任。ほかにも街なかの賑わいを創出する活動に積極的に関わっている。大の映画好きでもある。
「歴史に興味のある方は、蔵やギャラリーを併設した『銘醸館』なども一緒に見学していただきたいですね。ほかにも原町区の街なかには、昔の面影が残る場所が点在しているので、ぜひ街を歩いて懐かしい雰囲気を楽しんでみてください」

Data
遺産の場所南相馬市原町区大町
アクセスJR常磐線「原ノ町駅」より徒歩10分、常磐道「常磐富岡IC」より車で1時間
問い合わせ先朝日座を楽しむ会
電話 0244-23-5420(南相馬市市民活動サポートセンター)
e-mail saposen@minami-soma.com
見学開館時間/随時(毎月第1・3木曜日には「朝日座サロン」(茶話会)として開館)
入館料/無料
予約/2日前までに電話連絡を
※外観の見学は自由
                              

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