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旧国鉄日中駅熱塩駅:熱塩駅よみがえらせ隊

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

駅舎内から見た改札口
駅舎内から見た改札口。夕陽が差し込むと窓枠と改札の長い影が伸びる。須田さんがとても好きなこの景色は、今も変わらない

旧国鉄日中線 熱塩駅 〈喜多方市〉

いつかまた列車を走らせたい 米沢へ…の夢残し郷愁漂う終着駅

 国道121号を会津若松方面から米沢方面へ進み、熱塩地区に通じる旧国道に入ると、左に「日中線記念館」と書かれた木の看板が見えてくる。看板に沿って左折すると、坂の上に赤い屋根の建物。かつてこの地を走っていた旧国鉄日中線の終着駅・熱塩駅だ。今は記念館となり乗客を迎えている。「すぐ近くに立派な案内板があるけれど、この木の看板は味があっていいでしょう」と話すのは、記念館を管理する須田崇さん。

 昭和13年、喜多方・熱塩間を結ぶ日中線が開通した。朝夕合わせて数本しか走らないことから「日中は列車が走らない日中線」と揶揄(やゆ)された路線だったが、山間を走る小さな列車は人々の暮らしを豊かなものにしてくれた。熱塩駅近くに住む須田さんも、幼い頃から喜多方への交通手段としてよく利用したという。

 「買い物や映画を見に連れて行ってもらうのが楽しみでした。喜多方から特急に乗り換えて、上野へ修学旅行へも行きましたよ。熱塩から列車が出るのは7時、10時、16時、最終は19時…」。生活の一部となっていた駅の時刻表は、今も脳裏に刻まれている。「朝一番の列車が駅に着くと、スイッチバックするときにポォーッと汽笛を鳴らすんです。あれが目覚まし代わりでした」

 駅舎は、当時としては珍しいメートル法による建築。待合室には木製のベンチがあり、大きな時計が今も時を刻み続けている。事務室だった場所には、昔の写真や切符、国鉄の制服などを展示。券売機もそのままだ。かわいらしい格子の窓やアールを取り入れたホームの屋根や梁がまるでヨーロッパの小さな駅のよう。「懐かしい…」初めて見た者でもなぜかそう感じてしまう木製の改札を抜けホームに出ると、そこには次駅が記入されないままの駅名標が。いつしか喜多方からやってくる列車を待っているような感覚になっていた。ここに線路があったら…とつぶやくと須田さんが口を開く。「みなさん、そうおっしゃるんですよ」

 昭和59年、廃線とともに熱塩駅周辺は公園として整備される。駅舎はそのまま残されたが、目の前の線路はすべて撤去。ホームから下りる階段が作られ、子ども達が目を輝かせて駆け寄ったラッセル車と客車はホームの北側に展示された。しかし、訪れるのは国鉄などのOBや鉄道マニアのみ。常駐して管理する人はなく、定期的に伸びてきた草を刈る程度だったという。

 駅の変わりゆく姿を目の前で見ていた須田さんは、廃線から22年後の平成18年、定年退職を機に駅の管理を引き受けた。荒れ果てた駅を少しずつ人の集まる場所にしたかったという。「きれいにしておくと、自然にこうなるから不思議」と、うれしそうに眺める駅舎の周りの芝はすべて野芝。こまめに草刈りなどの手入れをした結果、自然に生えてきたものだ。車両の向きを変えていた転車台の跡地には花を植え、イベント時には線路のないホームに手作りのトロッコ列車を走らせる。

 生まれ変わった駅にはこの日も、熱塩温泉へ来た母娘や九州から来た一人旅の男性などがこの駅を訪れていた。来客にコーヒーを淹れ、誇らしげに駅の話を聞かせていた須田さん。最後に「いつかここに線路を引きたい。短くてもいい。小さくてもいいからこの駅に列車を走らせたい」という夢を語ってくれた。

タブレット(鉄道の単線区間で使われた通行票)を片手にホームへ立つ須田さん。
タブレット(鉄道の単線区間で使われた通行票)を片手にホームへ立つ須田さん。
熱塩駅でもかつてタブレットの交換が行われていた。奥に見えるのはラッセル車

事務室内にある切符(硬券)が入っていた乗車券箱。
事務室内にある切符(硬券)が入っていた乗車券箱。ここから多くの乗客たちが切符を購入したのだろう。
現在ここで買えるのは来場記念の「熱塩発喜多方行き」切符(100円)

出札口に置かれた来場記念切符と改札鋏。
出札口に置かれた来場記念切符と改札鋏。ここに立つと、窓越しに交わされた乗客と駅員達との会話が聞こえてくるようだ。記念館近くの熱塩温泉では、この切符を持参すると入浴料が100円引きになる

遺産の辿った歴史

 昭和13年8月、喜多方、会津村松、上三宮、加納、熱塩の5駅を結ぶ、全長11.6kmの旧国鉄「日中線」が開通。明治時代より持ち上がっていた、下野(栃木)?岩代(福島)?羽前(山形)を結ぶ野岩羽線構想の一部区間といわれ、「日中」が熱塩温泉の北にある地名であることからも将来的には米沢へ繋がる予定があったと考えられる。しかし、開通当時の主な目的は、熱塩にあるマンガンや金、加納にある銀や石膏といった、戦争のための物資輸送だったという。そのため、この路線は急行列車が走れない簡易路線であった。

 戦後、物資の需要は減り、路線バスが運行されるようになると、本数が多く便利なバスの利用が高まり日中線の利用者は減少する。1日の本数も3本に減り、「日中は列車が走らない日中線」と言われるようになる。昭和49年、日中線の蒸気機関車の運行が終了。これが本州で走る最後のSLであった。その後もディーゼル機関車での運行が続くが乗客数の減少は止まらず、ついに昭和59年3月31日に路線は廃止。会津と米沢を鉄道で結ぶ夢は叶わぬままに終わってしまう。

 廃線後、国鉄の補助により熱塩駅は公園として整備され、駅舎は日中線のSLの写真や切符などの資料を公開する「日中線記念館」となった。外にはラッセル車や客車を展示、踏み切りも残されている。

 平成18年から、市の委託を受けた須田崇さんが記念館を管理するようになる。2年後の平成20年、トイレを整備し、展示客車の椅子を入れ替えたことなどをきっかけに、記念館を地域活性化の拠点としようという運動が起こる。そして須田さんを中心に「熱塩駅よみがえらせ隊」が結成された。メンバーは市の職員や会社員、旅館関係者など。熱塩温泉との観光の提案や農産物直売所の設置、記念館を利用したさまざまなイベントの開催など、地元住民はもちろん、観光客に向けた活動を行っている。

 記念館の周りには、日中線が開通した頃に植えられたソメイヨシノや八重桜が咲き、春は多くの花見客が訪れる。また、喜多方駅近くの廃線跡は「日中線記念自転車歩行者道」という遊歩道に整備され、記念に植えられたしだれ桜が咲き並ぶ。遊歩道の中ほどには当時運行していたSLも展示されている。

昭和40年代、まだSLが走る頃の熱塩駅。
昭和40年代、まだSLが走る頃の熱塩駅。喜多方行きの列車が勢いよく煙を吐き走り出す

現在の風景
現在の風景

日中線記念館に展示されている客車。
日中線記念館に展示されている客車。中は自由に見学できる。懐かしいハンモックのような網棚や丸いライト。壁や床、座席の背もたれは木製でシートの濃いブルーとのコントラストが美しい。夕暮れ時の車内はとてもノスタルジックな雰囲気だ

記念館外観。
記念館外観。屋根のアールが欧風の建物を思わせる駅舎は、どこか懐かしさを感じる。駅名標を残したままのホームに立つと、今にも列車がやってくるようだ

熱塩駅よみがえらせ隊

 平成20年、熱塩駅に再び賑わいを取り戻すため、喜多方市内の有志約10人で設立。駅舎や展示車両の管理を行うと同時に、鉄道に詳しくない人でも楽しめるよう、地元の農産物直売所の開設やプラットホームをステージにしたコンサート、客車を教会のようにみたてた結婚式など、さまざまなイベントを実施。中でも、日中線の廃線跡を歩く秋の恒例イベント「日中線廃線ウォーク」には、県内外から多くの参加者が訪れている。

平成21年に行われた「愛の始発駅で愛を叫ぼう」というイベント。
平成21年に行われた「愛の始発駅で愛を叫ぼう」というイベント。客車内を教会のように見立てた結婚式では、カップルが誓いの言葉や指輪の交換、署名を行った。桜咲く中、ホームの前に敷かれたバージンロードを歩いた二人は、たくさんの祝福に包まれた

隊長 須田崇さん
隊長 須田崇さん

 耶麻郡熱塩加納村(現喜多方市熱塩加納町)出身、昭和20年生まれ。喜多方市の職員として勤務し、退職後の平成18年、旧熱塩駅の管理を自ら進んで引き受けた。平成20年、「熱塩駅よみがえらせ隊」の結成時より隊長に就任。旧熱塩駅や日中線の廃線跡を利用したイベントでは「名物駅長」として活躍している。
「イベントで賑やかな時もいいですが、人があまりいない時こそこの駅の魅力が感じられるのではないかと思います。特に駅舎に夕日が差し込む夕暮れからランプに灯がともる黄昏時は、何ともいえない美しさですよ」

Data
遺産の場所喜多方市熱塩加納町熱塩
アクセス磐越道「磐梯河東IC」より40分、「会津若松IC」より40分
問い合わせ先喜多方市熱塩加納公民館
電話 0241-36-2117
見学開館時間/10時00分?16時00分
入館料/無料
案内施設の案内希望の場合は、事前に電話連絡を

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