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常磐炭田関連遺産:いわきヘリテージ・ツーリズム協議会、常磐炭田史研究会

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

常磐炭礦内郷礦中央選炭工場を案内する野木さん。
常磐炭礦内郷礦中央選炭工場を案内する野木さん。昭和27年に造られた当時の最新・最大の選炭工場。地下の採炭現場と一体化した造りで、採炭・坑内運搬・選炭商品化・鉄道搬送までを一ヶ所で行うことができた。「24時間フル稼働のまさに不夜城。当時は市内で一番活気あふれる場所でした」

常磐炭田関連遺産 〈いわき市〉

困難を克服し、日本の産業を支えた先人たちの雄姿が示す希望の道

 第30回日本アカデミー賞作品賞はじめ、さまざまな映画賞に輝いた「フラガール」。そこには常磐炭田を舞台に、炭鉱閉山から「常磐ハワイアンセンター」(現スパリゾートハワイアンズ)誕生に至るまで、涙ぐましく努力する人々の姿が生き生きと描かれていた。映画でも炭鉱の暮らしを垣間見ることができるが、もう一歩踏み込んで常磐炭田のことを詳しく知りたいなら、やはり現地を訪れるのが一番だろう。

 いわき市を中心に広がる「常磐炭田」は、石狩・筑豊・宇部などと並ぶ全国有数の産炭地で、本州最大の規模を誇っていた。明治後期いわき地域への鉄道開通と同時に、京浜工業地帯という大消費地への輸送ルートが確立。各地から資本や人が集まり出炭量は大幅に増加、炭鉱の町は大きく発展していった。しかし、その背景には多くの先人たちの努力があったという。

 「採炭現場は40℃の暑さ、湿度はほぼ100%。落盤や自然発火の恐怖にさらされる地下700mの世界です。メタンガスや高温の温泉湧出の危険もある中、炭鉱夫たちは黙々と石炭を掘り続けました。1トンの石炭を掘るのに40トンもの温泉を汲み上げなければならなかったんです。そんな過酷な坑内で彼らは水風呂に浸かり、塩を舐め、梅干を食べて昼夜働き続けていました」と語ってくれたのは、「いわきヘリテージ・ツーリズム協議会」の熊澤幹夫さんだ。「中でも最大の敵は、湧き出してくる温泉でした。主要な採炭地の内郷や常磐地区には温泉脈が走っていたので、世界にも例のない灼熱の温泉地帯を掘り進まざるを得なかったのです」。一方、炭坑内に温泉が流れ出ることで、いわき湯本温泉街の温泉湧出量の低下も発生。そのため炭鉱と湯本温泉との間にたびたび紛争が生じたという。

 採炭規模が拡大すると、より多くの人手が必要になり、炭鉱会社も大規模化していった。しかし組織が巨大化しても、安全に採炭を行うにはチームワークが欠かせない。各地からかき集められた労働者同士でも一致団結する必要があった。「一山一家」の団結精神や、「友子制度」と呼ばれる炭鉱特有の相互扶助組織は、そんな背景から生まれたという。

 炭鉱施設の多くは地下にあったため、そのほとんどが閉山とともに水没・消失してしまった。だが、今でも当時の面影を残す炭鉱施設は市内に点在している。坑口、ズリ山、石炭積込場、専用線、炭鉱住宅、山神社…。中でも、内郷地区にある中央選炭工場は、今でも見事な威厳を保っている。静かに佇む巨大な建造物の前で目を閉じると、けたたましい機械音が鳴り響く中、全身汗だくで重い石炭を運搬する屈強な炭鉱夫たちや、炭鉱の花と言われた働き者の選炭婦たちのかけ声が聞こえてくるようだ。

 「常磐炭田史研究会」の野木和夫さんは、「昭和30年代以降は、エネルギーの主役が石炭から石油に移り、石炭産業は衰退します。しかし常磐炭田の人々は、そんな時代の変化にも力強く向き合いました。採炭時は邪魔者だった温泉を核として再生していく道を選んだのです」と語る。「昨日まで石炭を掘っていた人間が、いきなりハワイアンセンターの接客係をやれと言われる。でも、いやでもやるしか生きる道はなかった。そしてなんとか成功した。チャレンジすればなんとかなる。そんな身近な先人たちの偉業を伝え、困難に立ち向かう姿勢を子どもたちに教えるのも、我々の役目だと思っています」

 常磐炭田で最大手だった常磐炭礦(現・常磐興産)は、産業転換への取り組みに積極的だった。温泉などの観光資源があったこともあり、産業転換はスムーズに進んだ。「その分、石炭に未練を残す人が少なく、石炭産業から関心が薄れるのが早かったのかもしれません。それに危機感を持った人々で結成したのが我々の研究会。今のうちに残せるものはしっかりと残し、次世代に伝えていかなければいけないと思っています」

 かつて「黒ダイヤ」と呼ばれ、日本の経済成長を支え続けた石炭。その輝かしい功績が偲ばれる貴重な遺産を守る人々の中で、今、地域の未来を照らすほのかな光が輝いている。

湯本第六抗人車抗。
湯本第六抗人車抗。昭和22年に昭和天皇が東北巡幸の最初の地として常磐炭礦を訪れた際に入坑した人車抗。当時は地下600mの深さまで続いていた。人車は前傾の状態で坑道を下っていくので、背もたれは後ろ側に斜めになっている。石炭・化石館の敷地内にある

石炭・化石館にある模擬坑道を案内する熊澤さん。
石炭・化石館にある模擬坑道を案内する熊澤さん。後ろは鉱山救護隊のモデル人形。「坑内は常にメタンガスや炭塵(たんじん)による爆発の危険にさらされていました」。ほかにも、精巧に作られた人形模型などがあり、当時の炭鉱の様子を詳しく知ることができる

中央選炭工場の浄化槽。
中央選炭工場の浄化槽。コンクリート造りの巨大な建造物は圧倒的な存在感。活気に満ちた人々が生き生きと働いていた当時の喧騒や熱気が伝わってくる。今は「つわものどもが夢のあと」という言葉がぴったりな静寂に包まれている

内町公園(旧内郷山神社)の相撲場跡。
内町公園(旧内郷山神社)の相撲場跡。観客席の造りがローマの円形劇場(コロシアム)を彷彿とさせる。相撲のほか、芝居や余興の会場としても利用され、炭鉱労働者の福利厚生に一役買っていた。炭鉱の力自慢たちのぶつかりあう音や観客の声援が聞こえてきそうだ

遺産の辿った歴史

 常磐炭田は、福島県双葉郡富岡町から茨城県日立市北部までの石炭分布地域の総称。安政3年に片寄平蔵が、いわき市内郷の弥勒沢(みろくざわ)で石炭層を発見。その後、加納作平らと石炭産業興隆の基礎を作る。

 常磐炭田の石炭はカロリーが低い一般炭のため、需要は限られていた。しかし、明治10年に勃発した西南戦争で九州の石炭が途絶したため、東京に近い常磐炭田が注目されるようになった。明治30年、磐城線(現・常磐線)が平まで延びたことに伴い、炭鉱会社の進出が急増。総労働者数は、明治末期には1万人を超え、大正8年には約3万7,000人を数えるまでに。昭和26年頃には、大小合わせ130もの炭鉱会社が存在していた。

 採炭の初期は地表近くの炭層を手掘採炭(狸堀り)していたが、掘り進むにつれ次第に地下深くなり、次第に機械化が進んでいく。炭鉱の労働者はほとんどが炭住(炭鉱住宅)街に住み、社長以下社員は皆家族同様に結びつきが強く、「一山一家」と呼ばれた独立完結型社会を形成していた。大手炭鉱会社は社宅や病院を持ち、社内販売所を設け、スポーツや文化活動を奨励するなど、きめ細かな福利厚生対策を実施。小中学校を自前で持つ会社もあり、地域の学校に講堂や図書館を寄贈するなどしていた。 

 しかし、エネルギー革命の進行に伴い、昭和30年代から閉山が相次ぐ。昭和39年には古河好間炭鉱が閉山、昭和46年には常磐炭礦が主力の磐城礦業所を閉山(その後、西部礦業所として離職者の一部を吸収して再開するも昭和51年に閉山)。いわき地区での120年にわたる石炭産業の歴史は終わる。茨城県に残っていた常磐炭礦茨城礦業所も昭和60年に閉山し、常磐炭田は完全に終結した。

 昭和30年、低品位石炭を燃料に電力を供給する常磐共同火力が、主要炭鉱会社などの共同出資により設立(閉山後は輸入炭を使用)。また、常磐炭礦は昭和41年、炭鉱離職者を中心に温泉を活用した画期的なレジャー施設「常磐ハワイアンセンター」(現スパリゾートハワイアンズ)を開業。また、昭和51年に設立された常磐湯本温泉(株)では、源泉から揚湯した温泉をいわき湯本温泉街に供給している。昭和59年には、常磐炭礦磐城礦業所跡地にいわき市が「いわき市石炭・化石館」を開館し、石炭採掘に関する展示などを行っている。常磐炭田の歴史を物語る産業遺産は、年を追うごとに風化・劣化が進み数は減少。その学術的・文化的な調査、記録が急がれている。

昭和30年代の常磐炭礦磐崎礦。
昭和30年代の常磐炭礦磐崎礦。中央に見える長尺の建造物が石炭積込場(通称・万石[まんごく])」と呼ばれた施設。ここで運搬用貨車に石炭を一気に積み込んだ。後方に見える三角形は、石炭採掘時に掘られた岩石(ズリ)などを長い間に廃棄していってできたズリ山。炭鉱の象徴的存在だ

現在の常磐炭礦磐崎礦跡の姿
現在の常磐炭礦磐崎礦跡の姿。線路跡は道路になり、奥のズリ山は木が成長して普通の山と見分けがつかない。積込場の手前の木はニセアカシア。炭鉱施設の跡には、土砂崩れ防止用に成長の早いこの植物がよく植えられている。6月に咲く白い花もきれいだ

昭和初期の磐城炭礦高坂礦
昭和初期の磐城炭礦高坂礦(後の常磐炭礦内郷礦住吉一坑)坑口。左の坑口が炭車用の「本卸し」、右が人車用の「連卸し」。坑口は炭鉱の「顔」だけに、煉瓦や石積みを用いて特に立派に造られた。その上にあるのは坑道の空気を循環させるための扇風機用の建物。今も現存するが風化が進んでいる

いわきヘリテージツーリズム協議会

 平成19年設立。学習・体験活動という新たな産業遺産(ヘリテージ)の観光(ツーリズム)を通じ、近代化産業遺産を含むいわき市の歴史や文化などの楽しみ方を推進することが目的。会員は常磐炭田史研究会をはじめとする地域研究団体や学校教育関係者、観光関連団体・企業、いわき市などの公的な各機関などにより構成。ボランティア・ガイド、ヘリテージ・ツーリズムのPR、ガイドブック「いわきの産業遺産ガイド」の発行などを行っている。

事務局長 熊澤幹夫さん
事務局長 熊澤幹夫さん

 東京都出身、昭和18年生まれ。常磐炭礦の関連会社への新卒入社を機にいわき市へ。それ以降定住し現在に至る。自らボランティアガイドをこなす傍ら、ヘリテージ・ツーリズムのPR・広報業務も行う。

 「石炭・化石館にある模擬坑道は、国内でもトップクラス。我々ガイドの話を聞きながら見学すると、より石炭採掘の様子を理解することができます。国宝の白水阿弥陀堂やアクアマリン、ハワイアンズなどと組み合わせれば、家族連れでも楽しい観光ツアーができますよ」

常磐炭田史研究会

 平成15年設立。いわき地方を含む常磐炭田内の地域発展に大きく寄与し、かつ産業や文化など多様な分野にも影響をもたらした石炭産業や炭鉱について、総合的に研究している任意団体。会員は歴史、地理、考古、地質、教育、文化、社会、労働、経済など、広範囲な専門分野に関わる地域研究者、教育関係者、行政担当者、炭鉱従事関係者など約90名。研究調査の成果の発表、写真展などの企画展の開催、炭田地域の巡検調査、機関誌「常磐炭田史研究」の発行、講演会の開催、関係情報の収集・記録化などを行っている。

事務局長 野木和夫さん
事務局長 野木和夫さん

いわき市出身、昭和18年生まれ。常磐炭礦に新卒入社し、その後も関連会社に勤務。その時の人脈や経験を生かし、常磐炭田史研究会で活動している。
「草木の中にひっそりと佇む炭鉱遺産にも、それぞれに興味深い物語があります。炭鉱に関わった多くの人々の想いを知ることは、自分たちの未来にもつながっていきます。ぜひ現地を訪れてその魅力に触れてみてください。事前に予約して、炭鉱OBの語り部の方の貴重な話を聞くのも楽しいですよ」

DATA
遺産の場所いわき市常磐湯本町(いわき市石炭・化石館)ほか
アクセスJR常磐線「湯本駅」より徒歩10分(いわき市石炭・化石館)ほか
問い合わせ先いわきヘリテージ・ツーリズム協議会、常磐炭田史研究会
電話 0246-42-3155(いわき市石炭・化石館)
案内開催日時/いわき市石炭・化石館内のガイド案内は毎週土・日曜日の12時00分?15時00分。
産業遺産見学ツアーは随時
定員/特になし
料金/無料。ただし、産業遺産見学ツアーガイドの交通費は実費
予約/いわき市石炭・化石館内のガイド案内は予約不要。
産業遺産見学ツアーは3日前までに申し込みを
※私有地や立入禁止区域にある産業遺産もあるので、必ず事前にお問い合わせください。
見学「いわき市石炭・化石館」
いわき市常磐湯本町向田3-1  電話 0246-42-3155
開館時間/9時00分?17時00分(入館は16時30分まで)
休 館/第3火曜日(祝日・振替休日の場合は翌日)・元日
入館料/一般630円、中・高・大学生420円、小学生320円(団体割引等あり)

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