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本宮映画劇場(定舞台):定舞台を考える会

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

昭和32年製のカーボン式映写機を操作する館主の田村さん。
昭和32年製のカーボン式映写機を操作する館主の田村さん。光源であるプラスとマイナスのカーボン(炭素棒)が燃えて短くなると画面が暗くなるため、
2本の距離を手で微調整しながら明るさを一定に保つ。長年の経験を必要とする熟練の技だ

本宮映画劇場(定舞台) 〈本宮市〉

館主の愛情と地域の想いを乗せ、45年ぶりに動き出した古い映写機

 低いモーター音とともにフィルムがカタカタと回り出すと、ノイズ交じりの音楽とナレーションが薄暗い場内に響く。「昔の映画は今と音楽が違う。何ともいえない味があるんだ」。本宮駅からほど近い路地の奥にひっそりと佇む本宮映画劇場、通称「定舞台(じょうぶたい)」の映写室で、館主の田村修司さんがうれしそうに目を細める。手際よく操作するのは、昭和32年製のカーボン式映写機。プラスとマイナスの2本の細長いカーボン(炭素棒)に電流を流して発光させ、その光で映像をスクリーンに写し出す。実際に稼動するものは全国でも数少ない貴重な品だ。「ちゃんと手入れをすれば映写機は50年でも使える。そのくらい強さがあるんだよ」

 映画が全盛期を迎えた昭和30年代前半。定舞台には映写技師が5人ほどいて、連日夜10時まで松竹の作品や洋画を上映をしていた。「子どもの頃はよくここの2階や3階で遊んだし、嵐寛寿郎の『鞍馬天狗』や宇津井健の『スーパージャイアンツ』を観て夢中になりましたね」と話すのは、近所に住む「定舞台を考える会」会長の遠藤基榮さん。時には歌謡ショーが開かれることもあったという。「小さい頃にコロムビア・ローズが来てね。観客が投げた紙テープを集めて、家に持って帰ったんですよ」と、同事務局の安田秀一さんも懐かしそうに振り返る。

 定舞台が閉館したのは昭和38年。テレビの普及に伴い、全盛期の頃に比べると少しずつ客足が落ち始めていた。映画館の経営に見切りをつけた田村さんは、自動車の販売会社に就職。だが、大正3年に建てられた建物はもちろん、映写機もスクリーンも手放さなかった。定年退職後に映画館を再開したいという夢があったからだ。「やっぱり映画が好きで、未練があったんだね。本当はやめたくなかった」。そして田村さんは40年以上、映写機に欠かさず油を差し続けてきた。

 平成20年6月、長年の夢がついに実現する。知人に館内を見せてほしいと頼まれたことがきっかけで、映写会を開くことになったのだ。丁寧にメンテナンスをしてきたおかげで、映写機は昔と変わりなく動いた。動かす田村さんも久々だったが、小学生の頃から父親に教わってきた操作は、忘れることなく身体に染み付いていた。上映したのは、昭和30年代の映画の予告編を田村さん自ら編集したダイジェスト版。近所の人達が集まり、45年ぶりの定舞台復活を喜んだ。その後も不定期に映写会を開催し、平成21年9月には遠藤さんや安田さんを中心に「定舞台を考える会」が発足。同年11月には大正時代の無声映画の上映会を開き、本宮市はもとより県内各地から180人もの人が集まった。

 イベント時以外でも、希望すれば田村さんが館内を見せてくれる。1階の木製の椅子席や2階・3階の桟敷席、壁に貼られた昔の映画ポスター、そして今も現役の映写機。すべてが懐かしく、温もりに満ちている。

 「地元の人にとって、昔はここが憩いの場だったんだよ。またこうしてお客さんが来て、映画を観て喜んでくれるのが何よりうれしいね」と田村さん。地域の人々が集い、同じ映画を観て、笑い、泣き、語り合う。かつてどの町にもあった映画館は、そういう場所だったのだ。近隣の人達の温かい思いに支えられ、賑わいを取り戻しつつある定舞台。田村さんが大切に守ってきたカーボン式映写機が映し出す懐かしい映画とともに、地域の絆をも蘇らせようとしている。

定舞台の場内。
定舞台の場内。建築当初は畳敷きで回り舞台や花道などがあり、芝居小屋としても使われていたが、昭和31年に椅子席に改装。スクリーンや周りの幕も昭和38年の閉館当時のまま。壁には当時の映画ポスターが貼られ、時が止まったかのような懐かしい雰囲気が漂う

定舞台の前身、昭和13年?15年頃の本宮座の客席。
定舞台の前身、昭和13年?15年頃の本宮座の客席。何の興行であったかは不明だが、2階、3階の桟敷席にもぎっしりと観客が入っており、当時の盛況ぶりがよくわかる。桟敷席は畳が外され、現在は使われていないが、見学させてもらうことはできる(写真提供:本宮市歴史民俗資料館)

映画全盛時代のフィルム
映画全盛時代のフィルム。定舞台の2階や田村さんの自宅には、石原裕次郎のデビュー作「太陽の季節」から「シンドバッドの冒険」などのアニメ作品まで、予告編のフィルムが数多く残っていた。会津若松市に住む方が送ってくれた「四谷怪談」などの本編フィルムも保管する

切れてしまったフィルムを修復する田村さん。
切れてしまったフィルムを修復する田村さん。フィルムについた油を取った後、専用の接着剤でつなぐ。映写機にかけても切れないようにつなぐには技術が必要で、手作業でできる人はごくわずか。フィルムの編集も、田村さんはこの方法で鮮やかにこなす

遺産の辿った歴史

 大正3年、地元の有志が出資して建設した「本宮座」が前身。現在も残る歌舞伎座風の木造3階建ての建物は郡山の「大正座」とほぼ同じ設計で、当時としては非常にモダンなものだった。地域住民が集まる公民館としての役割を果たしたほか、芝居の公演や踊りの披露会など各種興行にも使用され、「定舞台(土地の訛りではジョウブデイ)」の通称で親しまれた。場内には回り舞台や花道があり、旅役者の一座は公演中、建物の後ろの楽屋で寝泊りをした。2階3階の桟敷席を含めると400人近く収容でき、芝居がかかると近隣から大勢の人が詰め掛けたという。

 昭和18年に田村さんの父親の寅吉さんが経営者となり、「本宮映画劇場」に改称。昭和19年から22年頃までは毎月、梅沢清劇団(梅沢富美男の父)の公演が行われていた。戦後は映画の上映が中心となったが、昭和26年から27年には浪曲師・南條文若(後の三波春夫)の公演を毎月開催。その後も村田英雄、春日八郎、松山恵子ら、数多くの歌謡ショーが開かれた。

 映画全盛期を迎えた昭和30年、父親の急死により20歳の田村さんが経営を引き継ぐ。昭和31年には、1階を畳敷きから椅子席に改装。当時、本宮には定舞台と中央館の2つの映画館があり、定舞台は松竹や新東宝、中央館は日活や東映の作品を上映していた。石原裕次郎や吉永小百合ら人気俳優を擁する日活作品に対抗するため、定舞台では洋画も上映。マリリン・モンローの「帰らざる河」やオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」などの秀作や西部劇も上映したが、テレビの普及とともに徐々に観客が減少し、昭和38年、定舞台は惜しまれつつ閉館した。

 平成20年6月8日、45年ぶりに映写会を開催。その後、館内から昭和30年代の映画予告編のフィルムや当時の映画ポスターなどが多数見つかる。太平洋戦争の貴重な実写フィルム「真珠湾攻撃と硫黄島」も発見され、平成21年の終戦記念日に開かれた映写会で上映された。同年9月、近隣住民が中心となり、「定舞台を考える会」を結成する。11月には福島県文化振興事業団などが行った無声映画公演の一環として、坂東妻三郎主演のチャンバラ映画「雄呂血(おろち)」(大正14年の作品)を上映。活動弁士の澤登翠(さわと みどり)さんの熱演、楽団の生演奏と合わせ、約180人の観客が映画の原点を楽しんだ。大正ロマンの面影を今に伝える建物は、平成26年に築100年を迎える。

大正3年の建築当初の建物。
大正3年の建築当初の建物。当時は地域住民の集会のほか、芝居などの各種興行にも使われた。同年発刊の本宮産米品評会記念誌『ザ・モトミヤ』には、「新式設計に依り建設せられたる現代的美観の建物なり」という記述が見られる(写真提供:本宮市歴史民俗資料館)

現在の外観。
現在の外観。壁面の「本宮映画劇場」という文字は、昭和22年に加えられたもの。正面にカーポートが設置され、建物全体も老朽化が目立つが、往時のモダンな面影をよく残している。建物の裏手は木造トタン拭きで、かつては楽屋の入口があった

「雄呂血」の上映会の様子
平成21年11月15日に開催された大正時代の無声映画「雄呂血」の上映会の様子。2回の上映に、県内各地から180人あまりが来場。最後の約10分間のフィルムを田村さん自身がカーボン式映写機で上映し、大喝采を浴びた(写真提供:本宮市歴史民俗資料館)

定舞台を考える会

 定舞台の近隣住民が中心となって結成。正式な発足は平成21年9月だが、それ以前から映写会開催のサポートなどの活動を行ってきた。同年11月の無声映画上映会では準備・運営に携わった。今後も終戦記念日や毎年5月に開催される地元商店街のイベント「お地蔵まつり」などに合わせて、映写会の開催を検討中。また、いわき市の「三凾座」や南相馬市の「朝日座」など、県内の他の古い映画館との連携も模索している。

「定舞台を考える会」
右から「定舞台を考える会」会長の遠藤さん、田村さん、同事務局の安田さん。田村さんは子どもの頃、よく切符のもぎりを手伝ったという。近所に住む遠藤さん、安田さんにとっても、定舞台は子どもの頃の思い出がたくさんつまった場所だ

会長 遠藤基榮さん
会長 遠藤基榮さん

 安達郡本宮町(現・本宮市本宮)出身、昭和22年生まれ。田村さんの弟さんと幼友達で、定舞台は子どもの頃の遊び場だった。クリーニング店を営む傍ら、「定舞台を考える会」会長を務める。
「100年近く前の建物が残り、実際に上映できる映写機もある定舞台は、ここに住んでいる私達にとって宝です。田村さんのご好意で映写会を開催でき、県内各地から多くの方が来てくれました。これからもこの宝を大切に守り、商店街の活性化にもつなげられればと考えています。青春時代の思い出が甦る場所、定舞台をぜひ見に来てほしいですね」

Data
遺産の場所本宮市本宮字中條
アクセスJR東北本線「本宮駅」より徒歩5分、東北道「本宮IC」より車で10分
問い合わせ先本宮映画劇場
電話 0243-33-1019(田村)
見学※外観の見学は自由

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