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金山町

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月31日更新

滝沢のおう穴

滝沢のおう穴

 滝沢川のおう穴は国道252号滝沢橋の近くにあり、県内でも規模が大きいと言われている。長い期間にわたって水が岩を削って作られた自然の造形美。おう穴の初生から崩壊までを見ることができる極めて珍しいおう穴群である。

大塩の天然炭酸水

大塩の天然炭酸水

 大塩地区に明治初期から薬泉として評判があった自然湧水の天然炭酸水の井戸がある。明治の初期、大塩の地獄沢に湧出するガス臭が薬泉であると評判になり、近隣はもとより他見からも病人が来たと伝えられている。

大塩温泉

大塩温泉

 只見川の左岸にある炭酸水素温泉で、胃腸病、美肌効果がある。近くに雪解け時の地下水が豊富な時にだけ湧出する幻の露天風呂がある。

山入の歌舞伎

 山入地区には、地芝居と呼ばれる歌舞伎が毎年9月5日に、村人によって演じられている。歌舞伎は檜枝岐の歌舞伎が有名である。かつては伊南川沿いの村々で青年たちによって演じられてきた。檜枝岐と南会津町大桃には常設の独立小屋の歌舞伎舞台がある。山入の歌舞伎は、御当地の演題、小栗山喜四郎はじめ数々の外題が演じられる。山入では生の義太夫による公演が好評である。

鮭立の磨崖仏

鮭立の磨崖仏

 山入の鮭立集落の山際の、岩に彫刻した磨崖仏群がある。五十数体の大小さまざまな仏像が彫刻されている。不動明王を主尊とする三尊像などがある。この磨崖仏は鮭立集落の修験常楽院の山伏が、村の平安を祈り数代かけて彫られたものと伝えられる。製作年代は天明(1781~1788)から天保(1830~1843)頃と推定される。

松坂峠(癒しの森)

 県道布沢・横田線の松坂峠から西方に広がるブナ林。見事なブナの巨木を見ることができる。

小栗山の双体道神

 小栗山の双体道神

 小栗山には、安永3年(1773)銘の道祖神が村はずれの道端に建っている。男女が手をつないだ姿の石製の道祖神で、双体道祖神と呼ばれる。福島県内では只見川流域の三島町高清水や桧原、昭和村佐倉、両原、小野川、南会津町田島、滝ノ原、塩ノ原などに分布している。
 道祖神は、男根や女陰を形どったものもあり、村へ魔や悪霊が入ってこないようにと境に立っている場合が多く、また峠など街道の境にも多く立っている。双体道祖神は、群馬・長野・新潟県など中部地方に多く見られ、会津地方の双体道祖神もその文化圏の一地域といえる。

あざき大根

あざき大根

 太郎布にはアザキ大根と呼ばれる、小さめの辛い大根がある。現在、そばの薬味として食され、金山町の名物にもなっている。この大根は、「野大根」などとも呼ばれ、自生のもので太郎布地区ではそば畑などに自生している。
 山形県米沢市などでは、「弘法大根」などとも呼び、この大根は「辛くて食べられない」といって弘法大師に乞われたのを断ったため、辛くなり食べられなくなったともいう。また、大根だと思って食べたところあざむかれたため、「あざき大根」と呼ぶようになったと伝える地方もある。

宮崎八景

 宮崎地区は、中世山ノ内家の統治時代の宮崎柵(町文化財指定)を今に残し、この山ノ内に関りをもつ名主が村を支えた江戸時代には宮崎八景という歌を作り楽しむ文化が栄えた。
 宮崎八景が作られたのは、文政年間で近江八景になぞられて、村内の景勝の地を選び、愛好者を集め、兼枡閑人がまとめたとある。

 「古城夜雨」(宮崎八景の一つ)城跡の名のみばかりの草の原  
         よく降る雨の音のみぞ聞く

宮崎遺跡

 宮崎遺跡は、金山町中川にある弥生時代中期の遺跡である。遺跡は只見川右岸の第二段丘上にある、再葬墓・祭祀遺跡である。遺構は砂層を掘った穴の中に、再葬用の甕複数と小形土器を集中して埋葬したものと、砂層上に置かれた小形壺や石斧群、硬玉製砕管玉群等からなりたっている。

水沼の雛流し

 只見川流域の金山町水沼をはじめ中川・本名・西谷、三島町高清水地区には、3月4日に千代紙や包装紙などで造った雛人形を只見川に流す習俗が見られる。現在は、水沼と三島町高清水地区のみで行なわれている。
 雛人形は、3月2日の日に女性の数だけ作り、4日の日に各戸で流す。高清水では子供たちが各戸をまわり、雛人形を回収し、木箱にのせて流す。雛人形は紀伊国の炎島様まで行くとされ、水沼では供えた菱餅を背負わせ流してやる。
 この雛人形に女性たちの災いや病気を付けて流すもので、紙の流し雛は東日本地方では只見川流域のものが唯一である。

霧幻峡の渡し舟

霧幻峡の渡し舟

 三島町早戸温泉の対岸の三更集落。昭和39年の裏山の崩落により集団移転を余儀なくされ、集落廃村となった。三更では、対岸に渡る唯一の交通手段が渡し舟であったため、小学校にもあがらない子どもたちまで、誰でもが自ら船頭となって舟の操縦をしていた。
 廃村により、集落と対岸の早戸との間をつなぐ渡し舟もその役目を終えることになったが、約半世紀の時を経て、霧幻峡の渡しとして復活させる取組みが行われている。

漆蝋

 金山町小栗山など、只見川流域では漆の実から蝋を絞り、灯明用の蝋燭を製造してきた。会津地方の漆蝋は、戦国時代に芦名氏が織田信長に蝋燭を献上した記録など、また会津藩では年貢蝋として農民にその生産を果してきた。
 小栗山では昭和30年ごろまで蝋を絞り、蝋燭を製造してきた。これらの用具は猪苗代町にある会津民俗館に国指定重要有形民俗文化財として指定保存されている。

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