ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

西会津町

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月31日更新

大山祗神社

大山祗神社

 西会津町大久保には、野沢の山の神とも呼ばれる大山祗神社がある。大久保に里宮として社殿があり、川の上流約4kmには本社がある。さらに山頂には奥の宮があるが、現在は登拝できない。大山祗神社には、大山祗神・木花之咲耶姫・石長姫の三神をまつられており、豊作・豊漁・山中安全や安産などを祈願する。6月1日から30日までの長期間にわたる祭礼には、会津地方はもとより県外からからの参拝者が多く、特に新潟県の人々の参詣が多い。祭礼期間には、講中を組織し、団体で参拝する風習は現在も続いている。本社社殿に宿泊する場合が多い。
 会津地方では、山の神講を組織し、村人たちが山の神の掛軸を掛け、オカラク(粢(しとぎ))を作り山の神に供え、一年間の山中安全を祈る風習は近年まで行なわれてきた。野沢の山の神は、会津地方の山の神信仰の中心的存在であり、現在も多くの参拝者が訪れている。

 山の神信仰

 狩猟や木地挽・炭焼など山仕事に関わる人々は、山中安全や豊猟などを祈願し山の神を信仰する。鳥獣や鳥類、山菜や木材など山の産物は山の神が領有するものとする観念が強く、山の神の恵みとして人々はその恩恵にあずかる。そのため山を汚さず聖なる空間として、山を崇拝するようになる。
 只見町石伏や田子倉などには、ヤマサキ(山先)と呼ばれる山の神をまつる家もあり、共同狩猟組織では棟梁を勤めたりした。狩猟には山言葉といって、日常の言葉を使わず独特の言葉を使う習俗などもあった。
 また山の神は女の神という伝承もあり、金山町三条の山の神神社などにはオコゼ(オニオコゼ)という魚の干物を供え、豊猟や山中安全を祈る風習もみられた。
 正月2日には「山入り」といって、山の入口に注連縄を家族の男の数だけ作り、山の神に供え一年の山中安全を祈願する習俗は現在も行われている。

 銚子の口

銚子の口

 西会津町下野尻付近の阿賀川は、「銚子の口」と呼ばれ川幅が急に狭くなり、大石が川中にあり、激流が石に打ちあたり水しぶきをあげ、渦を巻きながら流れる舟運にとっては難所である。ちょうど酒器の銚子の口のように、せばまっているところからの名称であろう。
 かつては会津から朱や漆器・焼物など、新潟からは塩や海産物が舟で運ばれた。この銚子の口付近は荷を積んだ船は通ることができなかった。西会津町野尻から新潟県阿賀町津川までは、「中追」と呼ばれる馬による輸送と人の背による運搬であった。野尻の宿はその中継地として、にぎわった宿である。
 明治11年イギリスの女性探険家イザベラバードは、『日本奥地紀行』の中で野尻宿でその光景を次のように記載している。「この地方は見たところ美しくもあり、また同時に繁栄しているようである。」と野尻宿の光景を述べている。

 エゴの食習俗

エゴの食習俗

 西会津町から喜多方高郷町・山都町、三島町西方など阿賀川(只見川)流域の村では、春先に祭りや冠婚葬祭等のハレの日にエゴを食べる習俗がある。エゴはエゴグサと呼ばれる海草で、新潟方面より会津へ入ってきている。エゴを食べる地域は阿賀川そして只見川流域で、食べ方は、干したエゴ草を一晩水にうるかし、鍋に入れて煮る。ドロドロになるまで掻きまわしながら煮る。煮つまり切れるようになったら、器に流し入れる。さましながら固めるとこんにゃく状になる。これを切って、生姜しょう油、からししょう油、酢じょう油などで食べる。

ご意見お聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページは見つけやすかったですか?

※1 いただいたご意見は、より分かりやすく役に立つホームページとするために参考にさせていただきますので、ご協力をお願いします。
※2 ブラウザでCookie(クッキー)が使用できる設定になっていない、または、ブラウザがCookie(クッキー)に対応していない場合はご利用頂けません。