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2016年06月留学生スタディツアー参加者レポート11

大学名: 会津大学名前: 許 智翔(シュー ジーシアン)

 今回のスタディツアーで最初に訪れたのは大安場史跡公園でした。この施設では、郡山市周辺で発掘された、およそ1000年前に作られた道具の数々を見学しました。道具の中では、古墳の副葬品もありました。公園内の古墳や発掘された古墳の副葬品、陳列されている石器や鉄器などといったものから、千年も前の社会ではすでに階級制度ができていたという推論に辿り着きました。これらの文物はみんな、立派な人類文化の遺産です。古墳自体は東日本大震災時大きな被害を受けたが、スタッフ及びボランティアによって復旧作業が進み、今はほぼ元通りに修復したと言います。これは、我々現代人に活きる人間たちの強い意志の現れだと思います。自分にとっては、当時の人間はどうやって古墳をすこしずつ積み上げていったのが想像すらできないが、今回の見学及びスタッフによる講演を受けて、現代の人がどうやって少しずつ震災から立ち直ったのかを知るような気がしました。

 午後になると、私たちは猪苗代水力発電所を訪ねました。ここでは、スタッフの説明のほかに、実際に発電所の中に入って設備の見学もしました。この見学を通じて、震災に伴う原発事故以降、日本では自然エネルギーがますます重要視されるようになったということがわかりました。再生可能エネルギーを原子力発電に代替するにはどうしたらいいのか、これはとても重要な課題です。原発無き今では、福島県内のエネルギー供給は依然火力発電が占める割合が大きいが、水力発電や風力発電、太陽光発電などといった大切な自然エネルギーは、もはや無視できません。

 初日の最後は、とても特別なイベントを体験しました。留学生全員がいくつかのグループに分けられ、喜多方市内の農家に泊まり、現地の人たちと一緒に一泊することになりました。自分にとっては、農家民泊はとても特別な体験でした。これまで、ホームステイしたこともなければ、自分の日本語力も優れているわけではありません。そのため、農泊と聞いて、自分が緊張のあまりに、どこか不安も感じていました。しかし、ツアーガイドと通訳が同行せずに農泊したのはこのイベントの醍醐味ということが後にわかりました。私はベトナム人の留学生2人とネパール人の留学生1人と一緒に荒井さんが経営する農園に宿泊することになりました。農園の広大な敷地内に建物が数棟しかなく、荒井さんが一人で暮らしていると言います。居間で少し雑談してから、彼女の案内の元で、私たちは農園の中で散歩しました。時間が経つにつれ、私の不安が消えてなくなりました。荒井さんは4人もの外国人留学生相手に、親切にもてなしてくれたので、私もいつの間にかみんなと和気あいあいな雰囲気に浸かりました。翌朝、私たちは荒井さんと一緒に、市道側の花植え活動に参加しました。自分が暮らしている地域のために、休日を犠牲にして社会貢献活動に参加する荒井さんの姿に感動しました。これは、都会に住む人にはなかなか理解し難いのでしょう。

 二日間に及んだスタディツアーは上記の内容の他にも、五色沼と鶴ケ城の見学や、赤べこの絵付けなどのイベントが盛りたくさんでした。しかし、一番印象に残っているのは、2日目の午後に聞いた震災で会津に避難した庄子ヤウ子さんの講演でした。大熊町出身の彼女は原発事故のせいで避難を余儀なくされました。その上一番耐えられないのは故郷全域が帰還困難区域に指定されたことです。「生涯生まれ育った故郷に戻れないかもしれない」――これは当事者でない私たちが想像すらできない苦痛でした。講演は彼女が歩んできた軌跡に沿って進行していました。庄子さんは会津で人生のターニングポイントを見つけて、會空(あいくう)という会社を立ち上げ、大熊町のマスコットに似た熊の人形を製造し、故郷への想いを託しているのです。

 今回の留学生スタディツアーは二日間と短かったが、たくさんの人がイベントのために多大な努力をしている痕跡が随所見られます。ツアーの企画から、各見学先及び関係者との連絡まで、スタッフたちの努力なしにはこれほどの感動は得られないでしょう。多くの留学生にとって、福島は依然怖いイメージが払拭されずにいるのでしょう。また、福島に来た多くの留学生にとって、ここは自分の人生の通過点でしかないでしょう。ただ、自分は、この福島でずっと暮らしていきたいと思います。なぜなら、ここにはたくさんの風景と史跡があり、そのうえこの地をこよなく愛して、大切にする人たちがいるからです。

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