ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

2017年01月留学生スタディツアー参加者レポート18

大学名:  福島県立医科大学名前: Aung Kyi Thar Min (アウンチー・ターミン)

 県立医大で学ぶようになってから、私は福島県内で実際に何が起きているのか、知りたいと思うようになりました。震災時、日本は大きな地震や津波、そして原発事故に見舞われました。私は帰国した時に、友達から「なんで福島なんかに行きたいんだ?」と何度も聞かれましたし、県立医大に来た時も「どうして福島なんかに来たんだい?」と教授陣に聞かれました。私は実際、福島が危険な場所だなんて最初から思っていませんでした。本当に原子力災害なんて気にしていなかったんです。

 ファレルウイリアムズの「Happy」福島バージョンで福島駅の職員が出ていたのを動画で見た後、私は福島へ行くことを決意しました。福島市が被災地から遠く離れているのは知っています。しかし、行くことを決めたひとつには、被災した方々の心境を知りたかったという理由があります。つまり、いかにして彼らが日々を過ごし、どのように震災後耐え抜いたかということです。県の実施したこのスタディツアーは、私のこういった疑問に非常に明快な答えをくれました。何百年もの間、日本は自然災害や人為による災害に苦しめられて来ました。日本人の魂は非常に強靭で、被災地から故郷を再生させようとしていました。

 私が最初に学んだことは、いかに日本の生産物が市場に出回る前に厳しくチェックされているかでした。売り手は、消費者が生産物を手にする前にすべての放射性検査を行っていました。食べ物だけではなく大気中の放射線量まで、マイクロシーベルトの値で目に見えるようにしてあります。被災した地域の大部分は、除染と呼ばれる手法で回復していました。これは時間のかかることですが、熱心な日本政府は非常によくやっていると思います。他にも素晴らしい点があります。それは、日本の人々は災害に対して非常に忍耐強いということです。震災で人々は家や農場、収入、地域社会など様々なものを失いました。しかし今彼らは失ったものを取り戻そうと懸命に取り組んでいます。南相馬だけではなく、いわき市もまた震災に苦しめられました。アクアマリンふくしまという大きな水族館が、津波に襲われ98%もの生物が死に絶えました。しかし、彼らは半年以内に再建しました。福島県環境創造センターもまた、ガンマ放射線や放射能の危険性について学ぶのにとてもよい施設でした。福島県が核エネルギーから太陽光や風力発電、地熱などのクリーンエネルギーに転換しているのは、とてもいいことだと思いました。復興へのゴールの道のりは着実に進んでいます。全体として、このツアーは、新しい友人たちにも出会え、行ったことのない場所にも行け、多くの新しいことを学べた楽しいものでした。福島の人々の優しさは、私の通う県立医大の先生方だけではなくて、福島に住む人々すべてから感じるものでした。私は福島県と、そこに住む人々の心の美しさを世間に広めることによって、外国の人たちの福島に対する不安を払しょくしたいと心から考えています。

概要のページへ戻る