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2014年6月定例会 討論 長谷部淳議員

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年11月5日更新

長谷部淳議員

議員長谷部淳
所属会派
(質問日現在)
日本共産党
定例会平成26年6月
質問等討論
質問日7月2日(水曜日)

26番(長谷部 淳君)日本共産党の長谷部淳です。日本共産党を代表し、今議会に提案されている議案と請願への意見を述べさせていただきます。

 今議会は、安倍政権の横暴きわまる暴走に次ぐ暴走政治のもとで開かれました。きのうの集団的自衛権行使容認の閣議決定はその象徴であり、満身の怒りをもって抗議し、撤回を強く求めたいと思います。

 この政権は、福島原発事故などなかったかのように原発再稼働、輸出に走り、被災者の暮らしなどそっちのけで消費税増税、低線量被曝の長期的影響がわからないもとで、被災県民に真に寄り添おうとしない医療・健康施策、TPPへの前のめり、安上がりの医療・福祉で負担だけは国民に押しつけ、ことしは国連が定める「国際家族農業年」でありながら、家族農業を支える基盤を壊すことをはばからない農政を強行しようとしており、こうした悪政から被災県民の暮らし、県民のなりわい、県民の命を守る議会の姿勢が厳しく問われます。

 この点で、空前の増税を国民に押しつける消費税増税中止を求める当然の声である請願269号、原発事故を受け、県民の健康と命を守る切実な要望を託し、また、労働現場や介護・教育現場、障がい者、若者、農業者から出されているそれぞれの待遇や環境改善、制度充実を求める継続請願226号、請願282号から289号並びに291号から295号までの各号には、しっかりと応えるのが福島県議会の責任だと思います。

 最初に、知事提出議案第18、19号です。県が行う建設事業などに対する市町村の負担については、従来私たちは、県が全額負担すべきことを提案しています。まして、大震災の被害に苦しみ、その再生へ向けた市町村を広域自治体としての県が支援することは当然のことであり、市町村の負担撤廃をこそ決断すべきです。

 次に、議員提出議案第294号地域包括ケアシステム構築のため地域の実情に応じた支援を求める意見書についてです。

 この議案は、社会保障・税一体改革の円滑な進行と消費税財源を的確に活用することが前提です。この前提そのものが欺瞞ではないかと言わざるを得ません。

 そもそもこの一体改革は、小泉内閣の急進的構造改革が、企業の正規労働者の苛酷な削減と非正規化、地方に対する公共投資の削減、社会保障はリストラを進め、大企業は史上未曽有の利潤を上げた反面、餓死、自殺、ネットカフェ難民、介護難民、医療難民など社会的な問題が噴出した中、福田・麻生内閣で、社会保障の支出増はやらざるを得ないが、その手当てとして消費税の引き上げが出されたことが発端です。

 しかし、当時の両内閣にとても消費税増税などできず、小泉構造改革による社会の矛盾と構造改革に終止符を打ってほしいという国民の期待が、年越し派遣村、後期高齢者医療制度に対する反対運動など、反構造改革の社会運動と相まって自民党政権を追い込み、民主党政権を誕生させたのでした。

 その民主党政権は、国民の期待に応えるどころか裏切り政策を続け、自民党と全く変わらないことが明らかになったところで3・11の震災が起こり、当時の菅内閣のもとで、この一体改革は「社会保障も身を切り、それでも足りないから消費税増税も」とかじが切られました。これが野田内閣、そして安倍内閣と引き継がれ、社会保障切り捨てと消費税増税の一体政治として今現在進められているのが現実です。

 その証拠に、今年度の政府予算において、「社会保障のため」と言って消費税増税を前提にしながら、年金給付の連続削減、70歳の医療費窓口負担2割化、診療報酬は消費税増税分を除けば実質マイナスとし、先般閉会した国会では、医療・介護総合確保推進法が全ての野党の反対の中、自公両党の与党だけで強行されましたが、医療では病院のベッド数を一層削減することで医療費削減を図る、介護では要支援認定者を介護保険サービスから除外し、特別養護老人ホーム入所も要介護3以上に原則限定することで介護給付費を削減することなどが決められました。

 これが社会保障の身を切り、消費税も増税する一体改革の正体です。この推進を担保しようというのが医療・介護総合確保推進法であり、その柱の一つが地域包括ケアの構築です。

 地域包括ケアシステムは、重度の要介護状態となっても住みなれた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、医療、介護、予防、住まい、生活支援が一体的に提供されるシステムとされるものの、国が責任を持つわけではなく、基本は自己責任です。すなわち、医療も介護も予防も住まいも生活支援も、その全てのサービスを自己責任のもとに金で買うことを前提としてしまったのです。

 原発事故によって、とりわけ原発立地地域を中心として、福島県民は憲法25条の生存権どころか、13条の個人の尊厳、幸福追求権、29条の財産権さえ奪われ、その人権の回復こそが求められているときに、国の責任を投げ捨てた医療・介護総合確保推進法を前提とした意見書に同意はできません。

 原発被災地福島県議会として求めるべきことは、この法律の実施の中止と審議のし直し、税や社会保険料負担における応能負担原則を徹底し、憲法25条に基づいて、いつでもどこでも誰でもが費用の心配なく必要なサービスを受けられる地域包括ケアの構築としなければなりません。

 次に、議員提出議案第281号と第282号、請願270、271号の集団的自衛権にかかわってです。

 この間のマスコミの世論調査でも、国民の過半数が反対し、全国の地方議会では、容認反対や慎重な審議を求める意見書が、5月には62議会だったものが6月には192議会と3倍以上にふえています。集団的自衛権行使容認を前提にした意見書を原発被災地の福島県議会が可決することは、県議会の歴史に取り返しのつかない汚点を残すものと言わなければなりません。

 5月15日に集団的自衛権行使を容認する報告書を出した安保法制懇は、もともと首相の決裁で設置された私的諮問機関であり、法令に基づく審議会と違って法的裏づけはありません。「出席者の意見表明、意見交換の場にすぎない。」と政府通達などでもされており、その報告には法的拘束もありません。しかも、そのメンバーは全員が集団的自衛権行使容認論者で占められる極端な偏向ぶりであり、安倍首相の改憲日程に従属した機関にすぎません。報告内容は最初からわかり切っていました。

 3月6日付の信濃毎日新聞が「政権にとって都合のいい顔ぶれを集め、その提言を錦の御旗に憲法解釈を変えるとすれば、自作自演のようなものだ。」と断じたのも当然のことです。

 現在の国連憲章は、紛争の平和的解決を根本的精神としています。前文で「われら連合国の人民は、互いに平和に生活し、共同の利益の場合を除く外は武力を用いない。」とし、2条3項では「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって解決しなければならない。」とし、33条1項が「いかなる紛争でも、その当事者は、まず第一に、平和的手段による解決を求めなければならない。」としているように、繰り返し紛争の平和的解決が強調されています。

 2条4項においては、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、慎まなければならない。」とし、武力の行使を包括的に禁止しています。その国連憲章に、原案にはなかった個別的及び集団的自衛権が武力行使の包括的な禁止条項の例外としてつけ加えられたのは、憲章策定の最終段階でした。

 国連憲章と日本国憲法とが、その理念の基調において同一でありながら、憲章は自衛権観念を新たに加えることによって大幅に変質をこうむったのに対し、日本国憲法は、軍事的意味での自衛権を否定することによって、当初の、そして本来の国連憲章の精神に最も忠実な、純粋な憲法となり得たことの歴史的意義を日本国民として、私たちは誇りを持って世界に発信すべきです。

 ことしのノーベル平和賞に「日本国憲法、特に第9条を今まで保持している日本国民」がノミネートされたのは、9条の歴史的のみならず国際的な意義が高く評価されているあかしです。

 個別的自衛権は、国際法において歴史は古いとされますが、集団的自衛権は現在の国連憲章で初めて認められたものです。集団的自衛権は、「自衛」と名がついているものの、日本が攻撃されていなくても、他国が攻撃されたときにともに武力を行使する権利です。すなわち、自衛権ではなく他衛権であり、日本が他国の戦争に加わる攻撃参加権そのものです。

 だから、歴代の政権は、1954年に自衛隊を発足させたときから、日本に対する急迫不正の侵害に限定した現行の自衛権発動の3要件を確立させ、集団的自衛権は日本への急迫不正侵害がないから行使できないとしてきました。

 こうして、「憲法九条のもとでは集団的自衛権行使は許されない。」とする政府解釈は、戦後半世紀にわたる国会の議論を積み重ねて政府見解として定着し、確定してきたものです。だからこそ、従来の海外派兵法には「武力行使をしてはならない。」「戦闘地域に行ってはならない。」と明記されたのです。

 これを180度覆すのが集団的自衛権行使容認です。限定的といっても、海外での無限定の武力行使が可能になるという本質は全く変わらず、必要最小限といっても、積極的に相手をたたく戦闘以外は何でもできることが国会論戦でも明らかにされました。

 しかも、これまで集団的自衛権の行使と主張された事例は、アメリカや旧ソ連といった巨大な軍事力を持った大国がベトナムやアフガニスタンなど小さな国に攻め入っている侵略戦争がほとんどです。こうして歯どめも外れ、戦闘しているところに自衛隊が行けば、たとえ後方支援であっても犠牲者が出ることはアフガニスタン戦争でも明らかです。

 ドイツは、平和維持や復興支援を目的に派兵しましたが、55人の犠牲者を出しました。NATO諸国では、1,032人が犠牲になっています。だから集団的自衛権行使は、自衛隊がアメリカの戦争のために殺し殺される状況に追いやられ、若者の血を流すというのが正体です。県内の若者もその対象となるのは必至です。

 自民党の加藤紘一元幹事長が「集団的自衛権の行使容認をすれば、米国の要請で自衛隊が地球の裏側まで行く。」、「この議論は徴兵制まで行き着きかねない。」と指摘し、同じく古賀誠元幹事長が「専守防衛以外に自衛隊が戦うことになることは間違いない。殺し殺されというのが必ず生じてくる。」と警告し、先週の朝日新聞のインタビューでも、防衛庁研究所長・教育訓練局長を務めた新潟県の小池清彦加茂市長が「集団的自衛権の行使に一たび道を開いたら、日本人が血を流す時代が来ます。徴兵制をしかざるを得ない。日本の将来にかかわる話。声を上げることは、今を生きる者の責任。」と言っています。

 もともと安倍首相は「今の憲法解釈のもとでは、アメリカが攻撃を受けたときに日本の自衛隊が血を流すことはない。」と嘆いてきた人物であり、自民党の石破茂幹事長は「集団的自衛権を行使するようになれば、自衛隊が他国民のために血を流すことになるかしれない。」と認めています。今の自民党は、作家の保坂正康氏が昨年末の雑誌で危惧したように、「保守政党ではなくて、右翼化した全体主義政党」です。かつての自民党ではありません。

 その安倍政権が九条改定が困難と知ると、96条の改憲手続緩和という邪道に走り、それが裏口入学と批判されると、改憲手続をせずに閣議決定で憲法破壊に走る。まさに戦争する国づくりへ向けたクーデターにほかなりません。

 アメリカのニューヨーク・タイムズは、5月9日、「日本の平和憲法」と題した社説で「安倍氏は、政府に憲法を再解釈させて9条を無効にしようとしている。このような行為は、完全に民主的過程をないがしろにするもの。」と厳しく指摘しています。

 原発事故前までは安全神話にどっぷりとつかった思考停止状態が県民を現在の深刻な状態に陥れ、今またその教訓を学ばず、右翼化した全体主義にあらがうこともできない思考停止によって、立憲主義と民主主義、そして平和主義を真っ向から否定し、人を殺し、殺されても構わないとする国民を育てる。国そのもののあり方を根本から変え、憎悪と報復の的となる国にしてしまうことに手をかすようなことがあってはなりません。

 戦場で人を殺すことを法的に保障する交戦権を復活させ、自衛隊を殺し殺される軍隊とすることが集団的自衛権の本質であることを隠し、国民の理解が足りないかのように言う281号議案は全くの的外れです。

 一片の閣議決定だけで自衛隊を動かせるわけではありません。今後自衛隊を軍隊に変容させる法案が準備され、これらを閣議決定しなければなりませんが、その過程で安倍政権の瓦解が同時に進むことを指摘しないわけにはいきません。

 なお、国が自衛隊を殺し殺される軍隊に変容させようとしている中、その艦船の活用を含んだ議員提出継続議案第268号災害時多目的船の導入を求める意見書に同意はできません。

 以上の理由から、知事提出議案第18号、19号、議員提出議案継続第268号、議案281号、294号の各号は否決、そして議員提出議案継続196、197号、議案280号、282号、296号から301号、305、306号、308号から310号、313号、314号の各号は可決、また、継続請願181号、182号、226号、請願269号から271号、282号から289号、291号から295号までの各号は採択すべきことを表明いたします。

 議員の皆さん、福島原発事故からしっかりと教訓を引き出し、この福島を、そして福島県議会をみずからの良心に基づいて、自由に、はっきりとした意思を態度として示すことのできる、21世紀初頭の自由民権運動の先駆けの地とすべきことを呼びかけまして、討論を終わります。

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