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中通り37(福島市):辺境の地。そして記憶の彼方へ(ハマナカアイヅ)

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年11月4日更新

表紙

「ここは.......どこ?」

 2013年の12月7日、自分にとっては決して忘れることのない一日です。

 運転免許を取ったばかりの自分が、活動範囲を広げようとする矢先の出来事でした。

 あの日、以前訪れたJR赤岩駅を車で再訪しようとしていたが、カーナビを頼りにたどり着いた場所は、明らかに「駅」ではありませんでした。
警告があったのに.... 銀色の世界02

 冬季通行止め期間の直前だったため、周囲の景色に戸惑いを感じながらも果敢に前に進みました。

 辺り一帯は、見る見るうちに銀色の世界に変わっていきました。
12月の上旬にしてこの銀色の世界 銀色の世界01 

 舗装道路がとっくに消え、カーナビから道の案内が突如終了しました。

 それに拍車をかけたかのように、車は雪道のぬかるみにはまり、なんと脱輪してしまいました!

 挙句の果てに、カーレスキューに電話したものの、彼らは提供されたGPS位置情報を根拠に駆けつけた場所は、ひと山先でした。

 「万事休すか......」

 笑えぬ事態の発展に、人生初の遭難を覚悟しました。

辺境の地、「李平(すももだいら)」

 結論から言いますと、無事生還でした。

 あの日は幸い、山奥にもかかわらず、偶然通りかかった釣り人の親子に助けられました。男5人で車をぬかるみから押し出させて、なんとか自走できるようになりました。

 恥ずかしながら、私は命の恩人の名前も知らずにいます。

 というのは、彼は人助けをした直後に、一切告げずに帰っていました。

 覚えていることは二つあります。

 ひとつは、あの親子が乗っていた車の車種は、三菱のパジェロミニでした。この場を借りまして、改めて心より感謝の気持ちを申し上げたいと思います。

 そしてもうひとつは、彼らがよく口にした言葉、「すももだいら」です。
地図 

 福島市の最果ての集落――李平(すももだいら)でした。

李平の風景

 無事生還を記念して、私は李平を散策しました。

 なかなか常識では考えられない行動でした。ただ、当時の自分は、とにかくこの遭難体験をさせてくれた地の全貌を知りたかったです。
李平宿跡01 李平宿跡02 

 12月上旬だったとはいえ、足首まで降り積もる雪。

 かつてこの地で暮らしていた人の生活ぶりを想像するだけで、胸が苦しくなりました。
孤独な鳥居 孤独な大仏

 見渡す限り、李平には建物の跡形もなく、文字通りの「廃墟」になっている感じがします。

 それでも、なぜか鳥居や仏像、墓場などといった信仰に関するものが手入れをされているように見えます。

 もしかしたら、今でもの李平出身者の子孫が定期的に墓参りにやってくるのでは、と密かに想像を膨らませました。

 あの日、李平集落から脱出した直前に撮影した写真です。
開村370周年記念碑

 李平に関する何の予備知識もない私でも、一瞬にしてこの地の歴史の深みを知った一枚でした。

 (後に判明したのは、私が李平集落に入ったのは、奇しくも開村400周年の年でした。もはや運命的出会いと言ってもいいでしょう。)

街道が語る

 あれから、私は李平を再訪することがありませんでした。しかし、心のどこかで、李平のことを気になっていました。

 今年に入って、「万世大路」をはじめとする土木遺産(特に道路関係)について興味を持つようになり、独自でいろいろ調べました。

 たくさんの道路レポートを読んでいるうちに、偶然にも李平と「再会」を果たしました。

 レポートの一部を引用しますと、「李平はかつて板谷峠越えの旧米沢街道(板谷街道)の宿場として栄えた集落で、慶長18年(1613年)に開かれた」とのことです。
旧米沢街道

 なんと、李平集落は福島と米沢を結ぶ、重要な生活道路の一部でした。

 この辺境の地に暮らしていた先人たちが風雪を耐え、春の到来を待ち、天候の変化によって一喜一憂していたのでしょう。

 明治7 年(1874)、福島の飯坂村 3 区立岩一郎区長は、旧米沢街道による往来の不便を憂へ、旧米沢藩が通行を禁止した中野越え(明神峠)の秘線があることを知り、明神峠越えの山道開削を福島県に陳情したことは、万世大路の建設のきっかけと言われています。

 また、道路レポートの中でも、「天保の凶作、明治初期の大火、栗子峠越えの万世大路(現在の国道13号)及び奥羽本線の開通以来、街道・宿場としての使命を失い、ついに大正7年(1918年)に廃村に至る。」と言及しています。

 そして、李平集落跡を含めた旧米沢街道の一部は、今は林道となって、釣りなどのレジャーを楽しむ人々に使われています。

 宿場として道路の通行人に便利を提供し続けた李平。
 新しい道路の建設による集落の凋落が進んだ李平。
 廃村になってもなお、道路の歴史を見守り続ける李平。

 レポートを読んでいるうちに、なぜかかつて遭難していたこの地に、不思議な感情を湧きました。

 ずっと前から、知っていた友人のような、李平。

 またいつか、この旧友を再訪したいと思います。

(追記)早速、再訪のチャンス到来?!

 11月11日、「全国街道交流会議」の全国大会は福島市で開催することになりました。

 そして、翌日12日に行われる歴史街道を歩く「エクスカーション」では、「福島ロングコース」の中では、李平集落の名前が掲載されているではありませんか!

 早速、再訪のチャンスが到来!イベントの様子は、後日またお届けしたいと思います。
大会パンフレット コース別

(投稿者:徐)

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