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【ろうどうコラム】居酒屋のたわ言

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年6月15日更新

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H27.7.10  居酒屋のたわ言

労働委員会 公益委員 駒田 晋一     
 

 「俺は、給料を貰うという言い方が嫌いだ。給料というのは取るものだ。経営者に頭を下げて給料を貰うという考えが気に食わないな。」
 今から遡ること15,6年前に、私が同じ法学部に通う知人から、高田馬場の居酒屋で聞いた一言である。その知人は、親からの仕送りはなく、奨学金とアルバイトで生計を立てていた。彼は、週に5,6日、夜中にゴキブリなどの害虫を駆除するアルバイトをしていた。害虫駆除のアルバイトは時給が大変高かった。一方、当時の私は、親からの仕送りと奨学金とで生活をしていた。単発でアルバイトをしたことはあったが、興味本位というレベルであった。知人の一言に対し、私は穏やかではないと思いつつ、ただ頷き、しばらく彼のアルバイトの愚痴を聞いていた。

 高田馬場の居酒屋の一件から数年後、私は弁護士になった。地元福島市に戻り、仕事を始めた。高邁な理想を掲げるわけでもなく、壮大な野望を胸に抱くわけでもなく、職業の一つとして弁護士を選んだ私には、弁護士の仕事は結果が全てのように見えた。負けそうな事件のときには、なるべく良い結果を出せるように、胃が痛くなるまで、裁判例や文献を調べ、少しでも有利になるように事実を拾い出し主張した。一方、勝てそうな事件であっても、不利な材料が出てこないように、入念に調査をした。証人尋問の前には吐き気を催したことも少なくなかった。にもかかわらず、事件が終了したときに、依頼者から感謝されるということが多くはなかった。弁護士の仕事が面白いと思ったことは正直なかった。

 弁護士になって7,8年もすると、少しずつ余裕も出てきた。その中で、弁護士には、結果を出すということも勿論求められるが、当事者が言いたいことをそのまま裁判所に伝えるということも大変重要だということに気づいてきた。当事者が言いたいことを残らず裁判所に伝えた場合、結果にかかわらず依頼者に感謝されることがあるということも分かってきた。当事者が言いたいことを裁判所に伝えるため、その事件が発生した社会的背景、当事者の立場、人間性、当事者がそう振る舞わなければならなかった事情など様々なことに目を向けるようになった。弁護士の仕事を面白いと思うようになってきた。

 労働は生計を立てるための手段である。だから、生計を立てられないような収入しか得られない労働はあってはならない。一方、1日の法定労働時間は8時間である。睡眠、食事、入浴などの時間を差し引くと、人が1日に使える時間のうち、約半分は労働時間である。いかに労働は生計を立てるための手段にすぎないと割り切ったところで、1日の約半分という分量は大きすぎる。収入を得るという目的だけでは、行き詰まってしまうこともある。

 冒頭の発言をした知人は、発言から数年後、害虫駆除の仕事を辞めた。正社員にという話もあったらしいが、彼はその仕事を定職とは考えなかった。彼は、今、不動産鑑定の仕事をしている。
「給料は稼ぐものである。」 
今なら私はそう答える。

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