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原始・古代

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

画像:縄文土器

人体の文様をもつ縄文土器
(飯野町和台遺跡)

日本列島に人類が登場したころ気候は寒冷で、人々は打製の石器を主な道具とし、ナウマンゾウやオオツノジカなどを追っていました。この時代を旧石器時代と呼びますが、約1万5千年前の塩坪遺跡(高郷村)では、焼き石を使って食物を調理していました。

およそ1万2千年前になると温暖な気候になり、本県域にも落葉広葉樹の森林が広がり縄文時代が始まりました。人々は竪穴住居に住み、縄文土器・弓矢・磨製石器などを使用し始めました。白山遺跡(飯野町)をはじめ多くの遺跡では、竪穴住居内に、土器を埋めた石囲炉と敷石石組炉が一体となった複式炉が設置されており、本県域の大きな特色です。

同様の炉は東北、北関東、新潟等にまで広く分布しています。一方、浜通りの海岸部では貝塚がつくられ、人々は貝類を採集し、マグロやスズキなどの魚類等を捕って生活していました。

画像:復元された古代白河郡の正倉

税として納められた米を保管する古代白河郡の正倉
(復元・福島県文化財センター白河館)

紀元前3世紀ごろ、大陸から稲作文化が伝わり弥生時代が開始しました。県域でも水田跡が番匠地遺跡(いわき市)で発見され、籾痕のついた弥生土器や穂摘み用の石庖丁も各地で出土しています。当時の墓は、一回葬った後に遺骨を集め土器に入れて再び埋葬する再葬墓などが広く見られますが、やがて桜町遺跡(湯川村)のように周囲を溝で区画する方形周溝墓が造られ、集落内に富と権力をもった人物が出現しつつありました。

3世紀末~4世紀には地域社会を支配する有力者が出現し、前方後円墳などが築造されて古墳時代が始まります。三角縁神獣鏡を出土した大塚山古墳(会津若松市)など、県域には全長50m超の大型古墳が15基以上あります。古墳に葬られた首長層は、舟田中道遺跡(白河市)のように堀で区画した居館を構えていました。埋葬施設として横穴式石室が導入される6世紀からは横穴墓群もつくられ、中田横穴(いわき市)では壁に紅白の三角文等が描かれています。

飛鳥時代から奈良時代になると律令制度に基づく政治が行われるようになりました。県域では、白河郡衙(関和久官衙遺跡・泉崎村)などの造営が始まります。養老2年(718)には石城国と石背国が陸奥国から分置されますが、すぐに陸奥国に合併され短命な国でした。江平遺跡(玉川村)からは聖武天皇の詔に従い、経文を読んだことを示す天平15年(743)の木簡が出土しています。平安時代前半には、徳一によって恵日寺(磐梯町)が開かれ仏教文化が繁栄しました。律令制が形骸化してくると、荘園を基盤とする武士団が成長してきました。白水阿弥陀堂(いわき市)を建立した岩城氏そして石川氏や佐藤氏などです。

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