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大峠道路の歴史

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

西暦

和暦

大峠道路の歴史

807

大同2

僧、徳一が恵日寺などを建てたと伝えられ、会津仏教が栄えた。

 

 

 昔の大峠周辺

1182

寿永元

康和2年(1100)恵日寺の勢力は会津4群を支配したが、恵日寺の乗丹坊が僧兵を率いて木曾義仲と戦い、長野で敗れた。米沢への道は「檜原峠」を通り、800~1200年頃にかけて米沢方面に仏教文化が伝播された。

1585

天正13

米沢の伊達政宗が会津侵攻の道として、開いたとされる。(この頃米沢の伊達氏と会津の蘆名氏は檜原峠を越えて攻防が繰り返されていた)

大峠越えの道、開かれる

1590

天正18

会津に蒲生氏郷入部。慶長3年(1598)若松城に上杉景勝入部。この頃、檜原峠越えの米沢街道は重要性が増し、重要街道となる。

1633

寛永10

若松城主となった加藤氏は大峠越えの街道を閉塞する。

塩川経由、檜原越えの米沢街道を本街道とする

1643

寛永20

保科正之、若松城主となる。

1649

慶安2

保科氏は、幕命により領内調査し、会津本街道5筋を定め、幕府に報告する。

檜原峠越えの米沢街道も5筋の一つ。本街道となる

檜原峠越えの米沢街道は、出羽三山参詣の道として、また幕府巡見視の道として利用され、明治に至る。

 

1882 ~

1884

 

明治15  ~17

大峠の道を三島福島県令が開削

会津三方道路「大峠道路」は三島福島県令により着工。住民延べ73万4千人の文字通り血と汗と涙により、明治17年完成。これにより牛馬車通行可能となり、物資の流通がはじまる。この年、栃木県~山形県間の路線が県道1等路線に仮定される。大峠越えの道路は、関東、会津、山形、秋田を結び主要道路となる。物資の輸送が盛んになる。

 

 

 大峠隧道

県境の大峠隧道南口の図

1888

明治21

磐梯山大噴火により米沢街道、宿駅、檜原村水没。

1898 ~

1894

明治31  ~37

郡山~若松間、岩越鉄道開通。                                         

福島~米沢間、奥羽線開通。                                          

若松~喜多方間、鉄道開通。

檜原越えの米沢街道は交通の所要から外れ、歴史を閉じる。

1932 ~

1934

昭和7

~ 9

農林の不景気対策として、農村振興土木事業が行われ、

大峠道路は大改修される。

大峠トンネルは、長さ119.4m、幅員6mに拡幅された。

大峠道路、自動車通行可能となる

   昭和9年竣工の大峠トンネル(現在の旧道)

大峠隧道(S9)

昭和9年竣工の大峠トンネル(現在の旧道)

1937 ~

1940

昭和12 ~15

福島・山形両県で幅員4mに改修する。

1950

昭和25

宇都宮~米沢間 国道編入(国会採択)

1953

昭和28

二級国道宇都宮・米沢線(121号)に指定される。

1954

昭和29

米沢~喜多方間バス道路開通。

1960

昭和35

栃木・福島・山形3県により「国道宇都宮・米沢線、改良促進期成同盟会」発足される。

1965

昭和40

道路法の改正に伴い一般国道121号に指定される。

 

 

~大峠道路の現状~                                               

喜多方市根小屋から米沢市八谷間(24Km)は、未改良砂利道で狭小幅が存在し、道路が劣悪となり、

1年間の大半(11月~5月上旬)が積雪により通行止めとなる。

国道121号最大の難所「大峠道路」全面改築始まる。

      ~冬期間通行可能道路をめざして~          

1969

1970

昭和44

~45

福島、山形両県において調査実施。(航空写真測量の撮影・図化、比較線検討)

1971

昭和46

大峠道路「喜多方~米沢間」建設省直轄調査編入。(本格的調査に着手)

1972

昭和47

比較線の検討、基本ルート発表

1973

昭和48

基本ルートの検討に基づき千分の1地形図による比較線の検討、雪崩調査等を実施。   

(「雪に強い道路」の建設をめざし計画)  

1974

昭和49

大峠道路改築事業着手

概略路線測量、概略設計実施。(12月、計画路線決定)

1975

 ~

1978

昭和50 ~53

各種調査・設計実施。

1979

昭和54

準備工事着手(工事用道路)

1980

昭和55

本工事着手                                                     

大峠道路起工式 10月6日

1984

昭和59

大峠トンネル貫通(昭和60、本体完成)

1992

平成4 

大峠道路開通式

大峠道路、部分共用(8月9日)

(改築全延長25.2Kmのうち18.6Km供用)

供用と共に、大峠道路(※)の管理を「福島県大峠・日中総合管理事務所(大峠道路管理所)」で行う。

※福島県側と大峠トンネル

2010

平成22

大峠道路全線開通(9月11日)

未共用となっていた6.6km区間の管理を「福島県大峠・日中総合管理事務所(大峠道路管理所)」で行う。

出典:「一般国道121号大峠道路[写真・座談会編]」 平成7年3月 建設省東北地方建設局郡山国道工事事務所 発行