前沢曲家集落

雪国の山あいの中で人と農耕馬が一緒に暮らす住まい、
それが「曲家(まがりや)」と呼ばれる民家です。
南会津町舘岩地区の前沢集落は、明治時代に建てられ、
統一的な景観を保っていることから、
平成23年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

母屋と馬屋が一体となった
曲家集落

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曲家とは、人が生活する母屋と、かつて家族同様に大切にされてきた農耕馬が暮らす馬屋が一体となったL字型の民家です。前沢集落の曲家は中門造といって秋田県や山形県、新潟県、福島県会津地方といった雪国で見られる形式です。馬屋沿いに母屋への通路を設けて妻側に出入口をもつのが特徴となります。

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曲家の造り

母屋と馬屋をつなげているのは釜戸の排熱を馬屋を通すことで冬の寒さから馬を守るためです。さらに中門には馬屋や便所を設け、雪に閉ざされる冬の生活への工夫がありました。

写真一般的な中門造の曲家の間取り

写真飼い桶や馬用の農機具が展示されている馬屋(うまや)

写真家族中で暖を取っていた下縁(したえん)の囲炉裏

写真畳を上げて蚕棚にしていた上縁(うわえん)

写真置き炬燵がある寝室

写真家屋にかかる積雪の荷重を減らす急勾配の切妻屋根

曲家集落の景観美

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前沢集落は明治40年に集落一体が大火に見舞われました。その後、周辺地域の大工の手によって一斉に再建されたことで、統一的な意匠の景観が形成されました。
集落内には、中門造(曲家)13棟を含む伝統的家屋が20棟あります。まだまだ観光地化されずに現在も人々の暮らしが息づいており、日本の原風景を今に残しています。

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山と川とひとつながりになった集落

前沢集落の発祥は、16世紀末に只見川流域を治めていた山内氏が滅んだ後に、家臣であった小勝入道沢西が移り住んだのが始まりと言い伝えられています。

前沢という地名は集落の前に舘岩川が流れていたことに由来していると伝わっています。背後の奥山からは清水が渾々と湧き上がり、人々の生活を支えてきました。山では薪などの生活必需品も賄っていたようです。

写真当初、集落は川の近くにあったそうですが、のちに現在の位置に移りました。

写真現在も使われている水場

写真清水の一部は水車の動力となっている

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貴重な集落の景観を守る活動

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「昔は自分のところの山から茅を伐ってきて葺いていましたし、作業用の足場も調達できましたが、現在はすべて業者さんに用意していただくため、修繕費用がかかります」
と前沢景観保存会の小勝周一会長。

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「例年ですと雪が1メートル50センチほど積もりますので、一冬に3回ほど急勾配の屋根に登って雪下ろしをしなければなりません」と住みながら保存していく苦労を語られていました。
南会津の歴史を語り継ぐ証として、前沢曲家集落の保存に力を入れていきたいとのことです。

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