尾瀬、自然保護の歴史(後編)「オーバーユースのコントロール」

尾瀬、自然保護の歴史(後編)
「オーバーユースのコントロール」

戦後昭和の高度経済成長期。全国的な知名度を得るにつれて、
尾瀬には多くの方が美しい自然を求めて訪れるようになりました。ところが当時は自然保護の意識やルールが定まらず、尾瀬の自然はダメージを受けてしまいました。
今回はこうした観光地化によるオーバーユースについて、尾瀬はどのようにコントロールしてきたか学んでいきましょう。

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木道の整備と植生復元

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戦後の高度経済成長期、急速的な都市開発や公害問題が社会問題化するなか、多くの人々が美しい自然を求めて尾瀬を訪れるようになりました。
しかし当時の人々には、湿原の脆弱さについてほとんど周知されていませんでした。被写体の人々の表情は満喫そのもの。いたずらや悪意はいささかも感じられません。
現代の私たちはこれらの写真を見てただただ驚くばかりですが、レジャーの確立されてなかったこの時代、お金と時間をかけて尾瀬を訪れた彼らは、当時の日本人においてはむしろ進歩的な自然擁護派だったと思われます。

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湿原を構成する泥炭層は年間1mm程度しか堆積しません。自然が数千年かけてつくった湿原はほんの数年で荒廃してしまいました。
今では尾瀬の代名詞とも言える木道も、当時は湿原のぬかるみを避けるために、周辺の樹木を切って丸太を置いただけのものでしたが、湿原の荒廃が進むと木道の目的は、湿原を守ることに変わります。丸太から板状に替わり、単線は複線に、湿原の水流への影響を少なくするために地面から高い高架式の木道も設置されるようになりました。

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木道設置で大変なのは維持管理です。木道の耐用年数は環境にもよりますが約10年。ヘリコプターで資材を運搬する以外はほとんど人力です。現在の相場では設置には片側1mで10万円以上の費用がかかります。また少子高齢化のため作業員の確保が年々難しくなっているようです。

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一度壊れた湿原を回復させることは大変なことです。
群馬県側に「アヤメ平」という場所があります。ここはかつて尾瀬のメインスポットとして多くの人々が訪れた場所でした。シートを敷いてご飯を食べたり、バドミントンをしたりと、湿原が踏み荒らされてしまい、植物は枯れ、土壌が流れて、植物が生育できない場所になってしまいました。

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アヤメ平ではいち早く1966年(昭和41年)から保全作業が行われていますが、55年経ってもいまだに回復していない箇所もあります。

ごみ持ち帰り運動と
マイカー規制のはじまり

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多くの入山者が訪れるようになると、尾瀬ではごみ問題が大きな課題となりました。そこで、昭和47年に全国の国立公園に先駆けて「ごみ持ち帰り運動」が始まりました。「ごみ箱があるからごみを捨てる」、それならば「ごみ箱をなくせばごみを捨てなくなる」という発想の転換で、尾瀬では1400を超えるごみ箱の撤去を行いました。この運動は全国の国立公園へ広がりを見せます。現在、尾瀬を含めた多くの国立公園や観光地でごみ持ち帰り運動が行われています。

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自動車の普及によって尾瀬へのアクセスは非常に便利になりました。
一方、道路拡張や騒音、排気ガスなどによって自然へのダメージが大きくなりました。そこで尾瀬では1974年(昭和49年)からマイカー規制を実施。現在は群馬県の鳩待峠口ではオンシーズンの100日以上、福島県の沼山峠口では全シーズンを通して実施されています。

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現在、尾瀬でクルマによる渋滞はほとんどありません。
「マイカー規制を施行することで、木道の渋滞解消や弾丸登山を減らすことに効果がありました」と公益財団法人尾瀬保護財団の宇野翔太郎主事。無秩序な入山が統制されることで、快適で安全な尾瀬が保たれるようになったそうです。

浄化槽の設置

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山小屋や公衆トイレから排水がそのまま流れ出てしまうと、湿原や川が富栄養化して自然のバランスが壊れてしまいます。そのため、尾瀬では汚れた水が湿原に入らないように浄化槽を設置。処理の最後に残った汚泥は熱で乾燥させ、ヘリで尾瀬の外に運ばれます。

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このように尾瀬を護る排水対策には多くの費用がかかっています。尾瀬国立公園内の公衆トイレを利用する際は、トイレの維持管理代として100円~200円程度のご協力金をお願いしています。

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「かつて自然保護という考え方が定着しておらず、十分な環境が整備されていなかったためにオーバーユースの問題が起きました。オーバーユースを起こさないためには、①自然との触れ合い方を広めること、②適正な利用を広めること、③木道などの必要な環境を整えること、が大切です」と宇野主事は3つのポイントを指摘します。

また、たしかに昭和時代の人々に比べれば、現代の私たちは自然保護の意識が浸透していますが、それでも、なにげない行動が自然を傷つけている可能性もあります。
「あれもダメ、これもダメ」と言われるのは面白くないかもしれません。しかし忘れてはならないのは、今よりもっと自然保護活動が進展すれば、私たちの子どもたち、そのまた子どもたちが、今より美しい尾瀬を享受できるということです。

「人はみな自分の大切なものは守りたいものです。多くの人にとって尾瀬が大切な場所になったらいいなと思います」と宇野主事。自然保護意識の本質を得たコメントをくださいました。

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