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二、県道赤留塔寺線沿線の魅力 2.幕領と藩領との接点、八木沢

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新
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二、県道赤留塔寺線沿線の魅力

2 幕領と藩領との接点、八木沢

八木沢より会津盆地を望む

八木沢より会津盆地を望む

 八木沢は隣の集落赤留とともに永井野組八ヵ村が藩政期には幕府の直轄領でお蔵入りといわれていた。会津藩領であった雀林と境を接していたので、水争いが絶えなかったところである。八木沢と雀林の間には幕領と藩領の境界を示す境界石があって、延宝八年(一六八〇)と刻まれている。  「八木沢」は南北二キロ余もある村で、付近には縄文土器などが出土されていることから七、八千年前から住み着いている。古くは矢木沢と言っていたが、正長元年(一四二八)に改めたらしい。「矢木沢」とは、昔狩猟時代に矢を作る木のあった沢からきたという。また、八つの沢があったところだともいう。そこから「八」が〈多いという意〉と〈縁起がよい〉というところから改められたともいう。確かに集落の南から寺沢、南沢、文田沢、疣沢、八木沢、芦沢、勝負沢、萬七沢と沢のつく八つの小字が残っている。 西の山際にも「八反道」と言っている山道が断片的に数箇所残っている。したがって、江戸期以前にはこの山際の道を人々は通っていたのである。産物には藁蓆(わらむしろ)があり、近村からも「八木沢表(おもて)」と名づけて出荷していた頃もあった。村の南には福泉寺があり、伝行基作の薬師如来が祀られている。古くから安産の守護神として厚く信仰されている。

蓋沼へのウォーキングコース

境界石(右が八木沢、左が雀林) 福泉寺観音堂   福泉寺観音堂                   境界石 右が八木沢 左が雀林

 

 

 

 

 八木沢集落から西にニキロほど登ると海抜四ニ五メートルの丘陵地に、周囲三四三メートル、長径一三五メートル、短径五六メートルの楕円形の閉塞沼がある。地元の生徒・児童たちがよく遠足に登っている。水深は僅か一〇センチにすぎないが、中心部では四メートルに達する。  沼の中央付近には沼の約三〇パーセントにあたる大きな浮島が存在する。今から約1200年前に植物の根茎をもとに水面に浮上したミズゴケとともに成長してきたものです。そこには低地性の貴重な水蘇(すいせん)湿原植物が自然の状態で保存されている。昭和三十一年には県の天然記念物に指定された。蓋沼周辺は蓋沼森林公園として古潟沼、三角溜池、大久保溜池付近を周遊する遊歩道も整備され、自然を満悦するため健康のため、ウォーキングする人の姿が目につく。

蓋沼 古潟沼 古潟沼                              蓋沼 BackBack                                                               NextNext

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