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しらかわ-福島県県南地方-[観光情報][カテゴリ別-神社・仏閣]2

印刷用ページを表示する 掲載日:2020年2月28日更新

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観光情報[神社・仏閣]

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鹿嶋神社

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戸塚正観音堂

熊野神社石のお宮

台宿薬王寺薬師堂

常世観音堂

湯舟観音堂

古宿観音堂

富田薬師堂

宇迦神社(うがじんじゃ)

宇迦神社

起源は神亀年間(724~729年・奈良時代)といわれており、初代棚倉藩主・立花宗茂公により現在の地に移築されたのち、元禄14年(1701年・江戸時代)棚倉5代目藩主・内藤弌信公によって今ある社殿に建て替えられました。江戸時代には、新しい藩主が着任する際まずこの宇迦神社にお参りするよう定められていました。現代でも、町の鎮守として地元の人々に親しまれており、元旦にはたくさんの参拝客が初詣に訪れます。また、毎年10月中旬に町を挙げて盛大な秋祭りが行われ、宇迦神社から繰り出す神輿や、迫力ある山車の大曳きあいを一目見ようと、大勢の見物客で賑わいます。

所在地  〒963-6131 東白川郡棚倉町大字棚倉字風呂ケ沢地内

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蓮家寺(れんげじ)

蓮家寺

樹齢370年といわれる大ケヤキが目を引く蓮家寺は、慶長8年(1603年・江戸時代)熱心な念仏信者だった蓮池主水・糟家彌兵衛によって建立されました。この地で最初の浄土宗寺院といわれており、発起人である2人の姓をとって「蓮家寺」となりました。棚倉藩主であった内藤信照公らによって代々手厚く保護され、慶安元年(1648年)には徳川3代将軍家光公より御朱印状も授けられています。火災や戦災で本堂等を失いましたが、安永4年(1775年)に建てられ今なお古い佇まいを残す山門は、棚倉町の重要文化財に指定されています。国指定重要文化財の銅鐘は、およそ350年前から現在に至るまで毎日午前11時に打ち鳴らされ、人々の心のよりどころとして親しまれています。

所在地  〒963-6131 東白川郡棚倉町大字棚倉字新町129

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長久寺(ちょうきゅうじ)

長久寺

長久寺は、宝永4年(1707年・江戸時代)棚倉5代藩主・太田資晴公によって創建され、山門には当時資晴公の居城であった棚倉城二の丸南門がそのまま寄進・移築されました。この南門は、寛永2年(1627年)初代白河藩主・丹羽長重によって建てられたもので、棚倉城の一部として唯一現存する大変貴重なものとなっています。また、明治を代表する小説家・田山花袋が長久寺を訪れた際に詠んだ歌「ほのぼのとあけゆく山に音すなり麓の寺のあかつきの鐘」からは、当時の長閑な棚倉の情景が浮かび上がってきます。花袋は青年時代に幾度か棚倉を探訪しており、先の歌を含む短歌集「棚倉百勝詠歌集」を記しました。

所在地  〒963-6121 東白川郡棚倉町大字花園字沢目176

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矢祭神社(やまつりじんじゃ)

矢祭神社

「矢祭町」命名の由来にもなった伝説が残る神社。永承6年(1051年・平安時代)源義家が奥州十二年戦争で勝利を収めて凱旋する途中、通りがかったこの地の美しさに魅了され、背負っていた弓矢を岩窟に納めて武運長久を祈りました。「矢祭」という町名は、この伝承に由来するものです。その後、義家の勧請により矢祭神社が創建され、その時の矢が奉納されたと伝えられています。矢祭神社は、久慈川の渓谷沿い、剣ヶ峰・屏風岩などの名をもつ奇岩が多数点在する矢祭山の中にあります。四季折々に景色が美しく、西行法師や水戸光圀なども訪れて歌を残しています。

所在地  〒963-5321 東白川郡矢祭町内川矢祭154-1

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戸塚正観音堂(とつかせいかんのんどう)

戸塚正観音堂

戸塚正観音堂には、本尊として正観音菩薩立像が納められています。これまでは鎌倉時代に作られたものと推定されていましたが、新たな調査により、作成時期は室町時代末期(16世紀)であることが判明しました。また、この仏像にはノミの跡が残されていることなどから、作者は専門の仏師ではなく山岳地域で修行していた僧侶であるとみられています。

所在地  〒963-5203 東白川郡矢祭町大字戸塚
問合せ先  矢祭町教育委員会
Tel  0247-46-4580

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熊野神社石のお宮(くまのじんじゃいしのおみや)

日常生活において密接な結びつきとされていた坪と呼ばれている範囲であり、江戸時代の藩制村や矢祭町に合併される以前の旧村で、人々の日常生活を見守ってくれると信じられていた鎮守の神仏もこの坪・旧村レベルで祀られていました。明治12年宝坂村で熊野三社権現を熊野神社(下関河内、上関河内、大*(土へんに共)隙(おおぬかり))と改称して、村社としました。さらに明治15年宝坂神社と改名して、神殿も再建されました。寛政4年の銘のある鐘には、村の氏子中により奉納されたと記されています。

所在地  〒963-5113 東白川郡矢祭町下関河内

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台宿薬王寺薬師堂(だいじゅくやくおうじやくしどう)

台宿薬王寺薬師堂

台宿薬王寺薬師堂は、寛政2年(1790年・江戸時代)建立といわれ、一時荒廃したのち義観上人によって中興されました。当時この付近一帯は、薬師信仰のメッカとして大いに栄え、修業道場もたくさんあったそうです。しかし昭和39年の大火により、そのほとんどが失われました。今は古い佇まいの薬師堂が残るのみですが、お堂の右側には樹齢400~500年の大銀杏がそびえたち、秋には美しく黄葉した姿をみせてくれます。福島県指定の重要文化財に指定されている堂内には、穏やかな面持ちの薬師如来像が安置されています。

所在地  〒963-5341 東白川郡塙町大字台宿字大久保53

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常世観音堂(とこよかんのんどう)

常世観音堂

常世観音堂は、江戸時代から続くといわれる「仙道(福島県中通り地方の古称)三十三観音巡礼」の第二十二番札所となっています。本尊である如意輪観音菩薩は箱型の厨子に納め、堂内中央に安置されています。南北朝時代に作られたものと推定されますが、その時代の仏像が県南地方に残っていることは珍しく、塙町の有形文化財に指定されました。堂内の欄間には彩色の透かし彫り、天井には花鳥の彩色画が施されています。現在建っているお堂は、火事によって焼失したのち天保9年(1838年・江戸時代)に再建されたもので、大正9年(1920年)現在の地に移されました。

所在地  〒963-5403 東白川郡塙町大字常世中野字舟木原86

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湯舟観音堂(ゆぶねかんのんどう)

湯舟観音堂

明治以前、棚倉藩と平潟を結ぶ平潟街道での輸送手段として馬や牛はかかせないものでした。湯舟観音堂に祀られている聖観音像は馬の守護仏とされ、馬の産地でもあったこの地域では、街道を往来する人々から厚く信仰されていたようです。長い間秘仏として厨子に収められていましたが、調査によって室町時代に作られたことが判明しています。また、本堂は寛文年間(1660年頃・江戸時代)に廃寺となった高徳院観音堂が移築されたものと見られています。幾度となく修復が行われてきたようですが、堂内天上裏には画才に優れた棚倉藩士関口松宇の筆による彩色画が残っています。お堂の内外には大小様々の絵馬がかけられ、中には200年以上も前に描かれた絵馬もあり、文政年間(1820年頃)当時の様子を知る貴重な文化財となっています。

所在地  〒963-5535 東白川郡塙町大字山形字桜下134

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古宿観音堂(ふるじゅくかんのんどう)

古宿観音堂

悪行を働いた夫婦が息子を亡くしたことをきっかけに悔い改め、遍路修行の後供養のために建てたお堂と伝えられています。夫婦は帰郷するなり一夜にしてこのお堂を建て、境内にあった大木の根元に黄金・漆・朱の杯を1000個ずつ埋めて供養をしたそうです。堂内の天井に描かれた墨絵の龍は、寛保2年(1742年・江戸時代)絵師・狩野益信の筆によるものと記されているため、この観音堂はそれ以前に建立されたとみられます。本尊である木造十一面観音立像は塙町の有形文化財に指定されており、その姿は格子戸の隙間から拝むことができます。

所在地  〒963-5342 東白川郡塙町大字伊香字古宿213

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富田薬師堂(とみたやくしどう)

富田薬師堂

富田薬師堂は、大同2年(807年・平安時代)高僧・徳一大師がこの地に行脚した折、白檀で薬師如来像を彫り納めたことが起源といわれています。徳一大師はこの地方に仏教を広めた人物として有名で、茨城の筑波山や会津の慧日寺も大師によって開かれたと伝えられています。如来像は村の名にちなんで「菅生薬師」と呼ばれていましたが、江戸時代、村が幕府の直轄領となったことで地名が変わり、「富田薬師」となりました。現在あるお堂は1668年以前に建てられたものといわれ、鮫川村の有形文化財に指定されています。堂内には徳一大師の手による薬師如来立像のほか、鎌倉時代の特徴をとらえた金剛力士像(阿形・吽形)が納められており、どちらも福島県指定の重要文化財となっています。

所在地  〒963-8406 東白川郡鮫川村大字富田字彦次郎地内

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