中通り25(伊達市):あんぽ柿の詩(ハマナカアイヅ)
Part 1 「時の証人」あんぽ柿
吾妻山山頂の積雪は遠くから目視で確認できるほど、季節は急激に「秋」から「冬」へと変わってゆきます。
秋の風物詩である柿でさえ、ほとんどの地域では出荷用分の収穫を終えました。道端で散見される柿の樹木は、なぜか愛しく感じます。
伊達市梁川町の五十沢地区では、この時期より名物の「あんぽ柿」を作り始めました。
「今年はあんぽ柿作りの90年目に当たります。」
伊達市梁川町五十沢地区あんぽ柿生産部会長の宍戸里司さんが、あんぽ柿作りの見学者に冒頭でこう語りました。
庭の片隅には、「五十沢あんぽ柿80周年記念誌」が置いてあり、思わず目に留まりました。ところが、この記念誌の表紙から逆算すると、あんぽ柿の発祥は1922年になるはずです。
宍戸会長は私の疑問に答えて下さいました。
「厳密的に言いますと、あんぽ柿の歴史は今年で93年目になっています。」
すでにお気付きの方もいると思いますが、その背景には、原発事故の影響がありました。
福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質の拡散により、あんぽ柿の主産地である伊達地方を中心に、平成23年・24年の2年間にわたり加工を自粛していました。
つまり、あんぽ柿の歴史に、「失われた2年間」が存在していました。
宍戸会長は更に、あんぽ柿の意外な歴史について紹介して下さいました。
今日のあんぽ柿の原型が完成したのは1922年と言われています。名前からとても想像が付かないかもしれませんが、「あんぽ柿」は米国カリフォルニア州の干しぶどう作りの技術(硫黄燻蒸)を導入した「セミ舶来品」です。
さらに、もともと養蚕で潤い、小規模ながら製糸工場などの施設もあった五十沢地区は、大正期に入って生糸市場の斜陽化の兆しが見え始めた影響で、同地区の有力者たちは養蚕に代わる新しい農産物の模索を始め、その結果、あんぽ柿が誕生したという逸話もありました。
激動の時代、未曾有の災害を見届けてきた「あんぽ柿」は、単なる名物だけでなく、五十沢地区の歴史を語るには欠かせない「時の証人」でもあるのです。
これこそ、あんぽ柿作りの再開を支えてきた最大の理由だと思います。
Part2 もうひとつの「全量全袋検査」
JA伊達みらいやながわ共選場では、これからあんぽ柿の出荷に向けて、忙しい時期を迎えます。
「キーワードは、「全量全袋検査」となります。
福島県はでは、主食のコメについては全量全袋を検査しています。これは過去の取材でも取り上げていましたが、実は「あんぽ柿」についても全て検査をしています。
やながわ共選場では、非破壊検査器10台が一列に並び、出荷時ではフル稼働であんぽ柿のスクリーニング検査を担っています。
検査機器は、16個のCsI検出器により、出荷箱に入ったまま8個のあんぽ柿トレーを同時に測定可能です。測定は90秒程度で、検出下限値を25ベクレル/kgに設定されています。
検査で合格した製品には、トレー毎に県あんぽ柿産地振興協会の検査済のシールを貼って出荷しており、また、検査情報は、同協会のホームページに掲載しております。
すべては、消費者の安全・安心のためです。
口ばかりではなく、実際に財力と人力を掛けてそれを実現にする福島県は、称賛に値すると思います。
Part3 「粒々辛苦」
伊達市梁川町の五十沢地区では、宍戸会長の承諾を頂いて、柿を干すための施設「柿ばせ」に入らせて頂きました。湿気を避けるため、1階は納屋や作業場、2階を柿ばせとして使うのが一般的です。さらに「柿ばせ」は通風をよくするため、全面開放できる作りになっています。また、日光の直射を避けるため、黒いシートを使って光を遮るのはよく見られる風景です。
「柿ばせ」に入ってみると、意外と広く、積み上げた柿の箱でいっぱいでした。なるほど、納屋(倉庫)の役割は十分果たしていますね。
そこでクイズタイムです!
この謎の装置は一体なんでしょう?
答えは.....
なんと!硫黄燻蒸専用のカゴでした。
Part1でも触れましたが、あんぽ柿の加工は米国カリフォルニアの干しぶどうの技術を受け継いでいます。硫黄燻蒸によって、柿の黒変を防止すると同時に、微生物の発生を抑え、乾燥を促進する効果があります。
そしてこのカゴの巧妙なところはエレベーターと同じ原理で2階まで上がることができます。
恐るべし古き良き知恵の伝承ではありませんか!
あんぽ柿加工最初の手順は、皮むきです。
まずは柿の突端を平らに切る必要があります。それは、機械に固定するための下処理です。
柿を機械に装着して、レバーを手前に引きますと、柿は回転を始めます。そして、熟練な農家は家庭用のピーラーを使って皮むきをこなしていきます。その熟練さは、まさに匠の領域に達しています。動画 [その他のファイル/16.11MB]
2階に登りますと、すでに干しているあんぽ柿がズラリと掛けられており、数こそこれからどんどん増えていきますが、すでに壮観に見えます。
宍戸会長曰く、「あんぽ柿は日中しぼんで、夜は少しずつ元に戻るので、加工し始めて20日間の間、触っちゃいけない」とのことです。
さらに、温度と湿度を管理するために扇風機を使うなど、あんぽ柿の加工は決して一朝一夕に成し遂げることができないことがよくわかりました。
「あんぽ柿」は福島の名物と呼ばれるようになったのに、すべて農家が手塩にかけて加工した甲斐が実った結果だと思います。自然条件に勝ち、原発事故の影響を耐え抜き、福島のあんぽ柿はコメ同様、「粒々辛苦」の評価に値します。
あんぽ柿の生産・加工・検査に関わるすべての人に敬意を払います。
(投稿者:徐)