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二、県道赤留塔寺線沿線の魅力 7.牛沢の大徳寺の隠し部屋

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新
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二、県道赤留塔寺線沿線の魅力

7 牛沢の大徳寺の隠し部屋

県道から西にそれた貯水槽のある高台から磐越自動車道と磐梯山を望む

県道から西にそれた貯水槽のある高台から 磐越自動車道と磐梯山を望む

 勝方集落から一キロほど北に牛沢という集落がある。ここは藩政時代に牛沢組三九ヶ村の郷頭の所在地であった。昔、空也上人が牛に乗ってこの村に来た時、その牛が急死して石になったので牛沢と名づけたという。

隠し部屋のからくり

大徳寺本堂 大徳寺本堂   大徳寺 大徳寺

 村の中心地に、牛沢山大徳寺(曹洞宗)という寺院がある。この寺には隠し部屋があった。庫裏(くり)の誰も気付かないところに部屋があるのだ。その隠し部屋のことを前に、和尚の母堂から聞いた話を次に述べてみる。  ここの庫裏は非常に大きい。本堂に匹敵するほどの古めかしい建物なのである。まず玄関から入ると広い土間がある。上がるとそこは茶の間になっている。その後ろは俗に「眠蔵(めんぞう)」といい、禅家でいう住職の居室兼寝室に当る。その部屋の北側にある押入れの右端の戸を開けると、梯子が現われる。この梯子を上るとそこが第一の隠し部屋なのである。さらに西裏には非常用の梯子があって、踏み込まれた時、住職と押し問答している暇にこの梯子を下げて寺の裏の林に逃げられる。  もし捕り手が多数来て取り囲んだならば、この部屋の東北隅の廻し戸を開けるとここにも梯子段が作ってある。この梯子段を上がると第二の隠し部屋、つまり三階になっている。ここには裏板がないから屋根裏の材木の上に飛び上がれる。そこは大きな本堂の屋根裏に通じているので、相手の裏をかいて三階から庫裏の炊事場にかかっている梯子段を下りて玄関から堂々と出て行くこともできる。さらにこの三階の隠し部屋には変装用の衣装を何着も用意してあった。  お寺の隠し部屋なのでまさか女を隠して置くためのものではないだろう。大罪人でも慈悲は仏者の本懐だから一時にせよ罪人を助けようとして作られたものであった。  なお、会津坂下町には、青木の正徳寺、茶屋町の光照寺にも隠し部屋があったというが、今は寺の改造などでその面影さえもなくなってしまった。

天津クリ津田一号の栗の木

天津クリ津田1号の栗の木 津田1号

 牛沢には県の緑の文化財に登録されている樹木がある。それは牛沢の寺ノ西にある「天津クリ、津田1号」というブナ科の天津栗である。これは農学博士の津田仙氏が明治二十年に中国視察の際、天津栗を二本持ち帰ってきた。津田博士はそのうちの一本を牛沢出身の磯目順農業技師に与え、試作研究を依頼したのである。後、津田博士の孫の津田昇氏が牛沢の地を訪れ「天津クリ津田1号」と名づけたのである。この栗は日本の栗に比べて葉が大きくて広く、実は中ぐらいだが、味は甘みがあって渋皮のはがれがとてもよい。その上病虫害に強く生育力もいい。

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