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しらかわ-福島県県南地方-[観光情報][地域別-矢祭町]

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年9月1日更新

しらかわ

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観光情報[矢祭町]

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カテゴリ別 || 自然  | 史跡  | 神社・仏閣  | 文化  | 温泉  | スポーツ  | 食べる  | 土産 

奥久慈県立自然公園矢祭山

夢想滝

滝川渓谷

矢祭神社

ユーパル矢祭

西行の歌碑

白坂末吉の墓

戸塚正観音堂

熊野神社石のお宮

 

奥久慈県立自然公園矢祭山(おくくじけんりつしぜんこうえんやまつりやま)  歌人にも縁の深い つつじと紅葉の名所

 奥久慈県立自然公園矢祭山

永承6年(1051年・平安時代)凱旋の道中この地の景観に心を打たれた源義家が、山中の洞穴に自ら弓矢を祀り、未来永劫続く勝利を祈ったことに由来して「矢祭山」と呼ばれるようになったといわれています。古くは西行法師や水戸光圀公なども訪れ、あまりにも素晴らしい眺望に感動し歌を残しています。 4月上旬には3000本の桜、そして桜が終わる頃になると5万本以上ものつつじが次々に花開き、山を美しく彩ります。つつじは自生のものが多く、中には樹齢100年を越える老木もあるそうです。夏は魚釣りや川遊び、秋には燃えるように染まる紅葉など、四季折々に訪れる人を魅了しています。登山道やハイキングコースが整備され、珍しい形をした大きな岩山や久慈川の渓流を存分に楽しむことができます。

所在地  〒963-5322 東白川郡矢祭町大字内川字矢祭地内
問合せ先  矢祭町事業課
Tel  0247-46-4576
Fax  0247-46-3025
料金  無料

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  夢想滝(むそうたき)

 夢想滝

奥久慈県立自然公園矢祭山の中、あゆのつり橋(全長62m、幅1.5mの赤い欄干が特徴)からおよそ200mの所に「夢想滝」があります。弘法大師がこの滝を訪れた際、滝の端で護摩を焚き「無念無想の境地から夢を叶える」と説いたことから、「夢想滝」の名が付けられたと伝わっています。落差が約10mもあり、美しく澄んだ流れは福島の名水三十選にも選ばれています。また、傍の大岩に祀られたお不動様にお祈りすると、家内安全・商売繁盛・学業成就などあらゆることにご利益があるといわれており、たくさんの参拝客が訪れます。夢想滝までの道は遊歩道として整備されているので、季節ごとにツツジ・桜といった花々や紅葉、鳥の囀りを満喫することができます。

所在地  〒963-5322 東白川郡矢祭町大字内川矢祭山公園内
問合せ先  矢祭町事業課        
Tel 0247-46-4576
Fax 0247-46-3025

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 滝川渓谷(たきがわけいこく)  生い茂る木立を抜け、大小48もの滝を訪ねて散策

 滝川渓谷

「ふくしまの遊歩道50選」にも選ばれた滝川渓谷森林公園のなかに、おぼろ滝・見返りの滝・みすじの滝・銚子の口滝など大小48もの滝が連なっています。また、散策コースになっている森は四季折々に美しく、早春には群生するカタクリが可憐な花々を咲かせます。この渓谷は約300メートルの高低差があるため、歩いていくうちに新緑や紅葉の深まり方の違いも感じることが出来ます。遊歩道は約3.3kmにわたって整備されており、澄んだ空気を満喫しながら、一つ一つ全く違った表情を持つ滝を堪能する事ができます。冬期間(12~3月)は安全のため閉鎖されます。写真下左から:銚子の口滝、おぼろ滝、見返りの滝

所在地  〒963-5114 白川郡矢祭町大字大*(土へんに共)隙(おおぬかり)字滝平地区
問合せ先  矢祭町事業課
Tel  0247-46-4576
Fax  0247-46-3025
料金  環境整備協力金として大人200円 中学生以下100円

滝川渓谷

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矢祭神社(やまつりじんじゃ)  「矢祭町」命名の由来にもなった伝説が残る神社

 矢祭神社

「矢祭町」命名の由来にもなった伝説が残る神社。永承6年(1051年・平安時代)源義家が奥州十二年戦争で勝利を収めて凱旋する途中、通りがかったこの地の美しさに魅了され、背負っていた弓矢を岩窟に納めて武運長久を祈りました。「矢祭」という町名は、この伝承に由来するものです。その後、義家の勧請により矢祭神社が創建され、その時の矢が奉納されたと伝えられています。矢祭神社は、久慈川の渓谷沿い、剣ヶ峰・屏風岩などの名をもつ奇岩が多数点在する矢祭山の中にあります。四季折々に景色が美しく、西行法師や水戸光圀なども訪れて歌を残しています。

所在地  〒963-5321 東白川郡矢祭町内川矢祭154-1

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ユーパル矢祭(ゆーぱるやまつり)

ユーパル矢祭は、温泉・宿泊施設・結婚式場・テニスコート・プールを備えたレジャー施設です。ここ東舘温泉の泉質はアルカリ性単純泉で、腰痛や肩こり・五十肩・冷え性・切り傷・やけどなどに効能があり、快適な空間で心身ともに癒されます。超音波風呂・打たせ湯・水風呂・露天風呂などさまざまな浴槽があり、サウナも完備されています。また、矢祭町で栽培されたゆずを100%使ったシャーベットが大変好評で、お風呂上りだけでなくお土産にもおすすめです。

 ユーパル矢祭

所在地  〒963-5118 東白川郡矢祭町大字東舘字蔵屋敷108-1
フリーダイヤル 0120-466-886
Tel  0247-46-4300
Fax  0247-46-4311
営業時間 

15時00分~20時00分(受付19時30分まで)

定休日  無休
料金  大人450円 小学生300円 幼児200円
HP  http://www.naf.co.jp/yuparu/

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西行の歌碑(さいぎょうのかひ)

 西行の歌碑

西行は、元栄元年(1118年・平安時代)現在の和歌山県那賀郡に武家の子として生まれました。18歳になると御所や皇居での鳥羽天皇警護武士役に就きますが、23歳の若さで仏門に入ります。出家後は歌枕の地として有名な吉野山に庵を結び、陸奥行脚から戻った後は約30年にわたり高野山に居を構えていたといわれています。文治5年(1189年・鎌倉時代)現在の大阪府、弘川寺に移り住んだ西行は、翌年2月16日73歳で亡くなりました。伊勢を始めとする日本各地を行脚遍歴し、数々の歌を残しました。最高傑作といわれる「述懐歌」は現在もなお読み継がれています。矢祭山公園内に建てられた歌碑には、「心ある人に 見せばや みちのくの やまつりやまの あきの けしきよ」と刻まれており、西行がここからの眺望に感動した情景が伝わってきます。

所在地  〒963-5322 東白川郡矢祭町大字内川字矢祭
問合せ先  矢祭町教育委員会
Tel  0247-46-4580
料金  無料

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白坂末吉の墓(しらさかすえきちのはか)

 白坂末吉の墓

明治25年(1892年)2月の第2回総選挙で行われた選挙大干渉は、全国いたるところで吏党側の暴漢が横行し、流血の惨事を生み出していました。この弾圧における犠牲者の数は全国で死者25名、負傷者400名にも及んだといわれています。福島県は、自由民権運動の一つ「福島事件」の中心人物であった河野広中など自由党(野党)の強力な地盤であり、政府はこの一角を切り崩すため、内務省警保局長大浦兼武をわざわざ白河に出張させ、河野の選挙区である矢祭地方を含む第三区を集中的に弾圧しました。矢祭地方は民衆運動の伝統を持っており、住民の政治意識が高かったため、選挙に対する関心も極めて強いものがありました。その中で河野派の運動員であった東白川郡石井村(矢祭町)の白坂末吉という18歳にも満たない青年が駐在所の巡査の刃によって殺害され、弾圧の犠牲となったのです。しかし、政府のこの狂気じみた弾圧にもかかわらず河野氏らは再び当選し、吏党は惨敗しました。墓碑名は河野広中の筆によるもので「坂」が「阪」となっています。当時の鑑定医師の鑑定書や創傷図とともに白坂末吉の死はその痛ましい犠牲を現世に伝えています。

所在地  〒963-5100 東白川郡矢祭町大字下石井字沼畑
問合せ先  矢祭町教育委員会
Tel  0247-46-4580
料金 無料

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戸塚正観音堂(とつかせいかんのんどう)

 戸塚正観音堂

戸塚正観音堂には、本尊として正観音菩薩立像が納められています。これまでは鎌倉時代に作られたものと推定されていましたが、新たな調査により、作成時期は室町時代末期(16世紀)であることが判明しました。また、この仏像にはノミの跡が残されていることなどから、作者は専門の仏師ではなく山岳地域で修行していた僧侶であるとみられています。

所在地  〒963-5203 東白川郡矢祭町大字戸塚
問合せ先  矢祭町教育委員会
Tel  0247-46-4580

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熊野神社石のお宮(くまのじんじゃいしのおみや)

日常生活において密接な結びつきとされていた坪と呼ばれている範囲であり、江戸時代の藩制村や矢祭町に合併される以前の旧村で、人々の日常生活を見守ってくれると信じられていた鎮守の神仏もこの坪・旧村レベルで祀られていました。明治12年宝坂村で熊野三社権現を熊野神社(下関河内、上関河内、大*(土へんに共)隙(おおぬかり))と改称して、村社としました。さらに明治15年宝坂神社と改名して、神殿も再建されました。寛政4年の銘のある鐘には、村の氏子中により奉納されたと記されています。

所在地  〒963-5113 東白川郡矢祭町下関河内

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